見逃す映画の話
私いつも「観たかった」とか「見逃した」とか言いますが、だいたいもともと劇場にあまり行かないので見逃したもくそもないわいな。
でも「これは行かないとな」と思っていて行けなかったりするとやっぱり「観たかったのに!」って思います。
というわけで最近は更新も滞っておりまして、そもそも映画観てませんし、ちょっと忙しいんです。これから出張作業も控えているし、まだ後しばらくMovie Booの更新は滞るかもしれません。あ、以前に観てまだ書いてないやつでも消化するかな、滞在のホテルからでも。
というわけで多分確実に見逃すであろう観たい映画と言えばなんと言っても想田監督の「演劇1・演劇2」です。
去年は「Peace」を大絶賛してまして、その直後から「演劇」のお話は伺っておりました。これいよいよなのになあ。これ観とかないとなあ。これを見逃すのは痛いなあ(追記:結局観ました)
次はクローネンバーグの「危険なメソッド」です。「ビデオドローム」で不良青年の心を鷲掴みにしたクローネンバーグは傑作「スパイダー」の後、いつの間にか任侠映画を撮る人として魅惑の大変身、新作はどんなだろうと思ったら、まあみなさん、私は腰が抜けました。ユングとフロイトのお話ですって。なんだそりゃー。これ、12年10月末から日本で大公開。観たいよねえ。でもこれは見逃してもすぐにDVDになるでしょう。
そんでもって、9月から順次公開しているアッバス・キアロスタミの「ライク・サムワン・イン・ラブ」です。もうあちらこちらで公開が終わりかけてまして、あぁ観れなかった。観たかったなあ。
結局夏から秋にかけての映画も全然観れなかったし、まあ結局は怠け者なのでやっぱり劇場にはなかなか行けないな、というつまらない話でした。
こんなこと言ったら映画ファン失格なんですが、DVDで出てくれれば・・と。
光学ドライブ消滅の話
そういえば、新しいiMacが出て、いよいよMacから光学ドライブが外されましたね。 もうDVDとかBDとかって世界ではなく、ネット配信の世界なんですね。いやですねえ。ディスクのほうが取り回しも便利なのにねえ。
Macが光学ドライブを廃したことは大きな意味を持ちます。いずれ近いうちに波及するのが明らかだからです。
Appleは旧製品を陳腐化させることによって新製品を売るという作戦を取る会社です。「光学ドライブはもういらないよ。ないほうがカッコいいよ。え?君のマシンにはまだDVDとか載ってんの?ださっ」と、そういうやり口で次々に新製品を買わせることを狙いますから、本来こんな手口に乗ってはいけないんですが、そこはさすがにデザイン力や製品自体の魅力でぐいぐい引っ張っていきます。実際に光学ドライブが必要かどうかという議論とは無関係に「ないのがトレンドさ」とAppleが主張すれば反対陣営も含めてみんなが同調していくというのがこれまでの数十年の歴史です。
光学ドライブをなくすことが誤りであろうが何だろうが、旧製品を陳腐化させるためにはどんなことだってやります。正しい地図を放棄して狂った地図を搭載することだって厭わないぐらいですからね。ハイテクハードウェア企業として、自社以外のソフトウェア資産などはどうでもいいカスなわけですね。だからiTunesStoreで手に入らない映画なんてのは「そんなのいらないでしょ。iTSで売ってるのだけで十分だ」と平気で主張できるわけです。
そもそも日本の場合、音楽にしても映画にしても電子書籍にしても、全然ネット配信が充実していません。誰のせいとかそういうのを抜きにしても、CDとDVDに取って代わるレベルには微塵も達していないのが事実です。ラインナップ的にも価格的にも、それから個人レベルでの二次利用の自由さにおいてもです。
近々CDやDVDにネット配信が取って代わるレベルに達するには、たとえばiTunesなんかは今のペースの50倍以上の速度でラインナップを増やしていかねばなりません。それでもおいそれとは追いつけません。そんなことは現状どう見ても不可能ですから、このまま世界の流れとして光学ドライブ縮小後廃止の流れが確定してしまうと、手に入らない音楽や映画が過去の幻想としてマニア化して固着し、つまり文化の巨大な損失が起きると、こうなります。
だいたいそもそもまだDVDにすらなっていない映画やCD化されてもいない音楽がどれほどたくさんあるか。
結局ビジネス的には音楽だろうが書籍だろうが映画だろうが何だろうが、すべて消費型商材にすぎないのでありますから、蓄積型の芸術作品・重要書籍・文化的遺産という認識とは真っ向対立する、いわばアートに触れるこちら側と提供する側は敵対的関係にあるわけです。
資本主義がまだ成長過程であればちょうどよいバランスで成り立つ「商業としてのアート」も、崩壊直前末期的資本主義の世界ではどんどん成り立たなくなります。個人商店が潰れて大型店しか生き残れない一般の商業と同じことが起きるわけです。そこにはもはや多様化もなければ個性もありません。
再生装置のハードの都合や販売ルートの都合でメディアが次々に切り替わり、そのたびに淘汰が進み、巨大マーケットで勝ち抜くタイプの作品しか生き残っていかなくなってまいります。
以前iMacがフロッピーを廃したことと、今回光学ドライブを廃したこととは意味合いが全然違います。
フロッピーの頃はすでに(Macユーザーにとっては)フロッピー自体が過去の遺物に近かったし、役割的にもただのインストールディスクでしたからね。フロッピードライブは単なるコンピュータ専用機器で、そのディスクの中に文化や芸術は入っていませんでした。
CDやDVDはまだまだ今後もしばらくは主流であり続けるだろうと思いますが、今よりさらに少数派だけのものになっていくのは間違いありません。
Appleの都合に世間が迎合することなく、書籍がいつまでも書籍であり続けるように、CDやDVDが音楽と映画の入れ物として広く流通し続けくれればよいのですが(少なくともオンデマンドのラインナップが現状と相違なくなるまではね。あり得ないけど)
というわけで、だんだん大袈裟な上に妄想も入ってきましたのでここらで止めて仕事に戻りますわ。
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