洞窟壁画というのはご存じの通り、太古の人類が洞窟の中に描いた絵画です。動物たちや手形などを描いています。有名な洞窟壁画にはアルタミラやラスコーがありますね。
土、炭、樹液、獣脂、赤鉄鉱、そういった材料で描きます。洞窟の壁面が石灰岩質であるため、石灰結晶が表面を覆って絵と壁面が固着して同化します。これは後のフレスコ画の原理とまったく同じです。
「世界最古の洞窟壁画 忘れられた夢の記憶」は94年に発見されたショーヴェ洞窟とその壁画のドキュメンタリー映画です。なんとこの壁画が描かれたのは3万2千年前。気の遠くなるような昔です。これ以前、最古の壁画は1万5千年前のラスコー壁画でしたから二倍以上最古の驚くべき発見でした。
最近、スペイン北部の洞窟にある壁画を新たな手法で年代測定した結果、4万8千年前の作画であるとの結果が出たようです。もしこれが正しければ、ショーヴェ洞窟より1万年以上前ということになり、さらに、ネアンデルタール人が描いたという説を裏付ける可能性が出てきます。ネアンデルタール人に壁画の文化があったとなればこれは大事件で、根本的な考えが変化する可能性もあります。ただしまだ結論が出ているわけではなく、偉い人達があれこれと測定したり証拠探しをしているようです。
3万2千年前というと、付近一帯が厚い雪に覆われた極寒地帯で、マンモスなどが闊歩していた頃だそうです。さらに、別枠人類ネアンデルタール人が生息していた時代でもあるそうです。どうですか、3万年前がどれほど昔で、どれほど現代と違っていたか、想像するヒントになるでしょう。
それほど昔にいた人類が洞窟に描いた絵画群です。牛やライオンやいろんなものを描いています。どうやらこの洞窟、ある時代に出入り口であった場所がふさがれて以来、環境から完全に孤立したために保存状態抜群、洞窟独自の何とか石なども綺麗に育ち、壁画なんか昨日描いたみたいに鮮明に残っています。描くために使った炭のかけらなんかも落ちています。
ショーヴェ洞窟はあまりにも貴重なため、外気の影響を受けないように閉鎖され、限られた人しか入れません。ヘルツォーク監督率いる撮影チームは少人数でこの洞窟の撮影をすることになります。時間制限も厳しいのです。3Dカメラを携え、貴重な洞窟壁画を撮影しました。
そうなんです。この映画はそもそも3Dです。洞窟壁画は、岩肌の凹凸を利用した絵である上に、暗闇を照明で照らした環境のため、写真や2D撮影だけでは様子が掴みにくいものです。3D撮影は洞窟壁画のためにあると言っては過言ですが、恩恵は計り知れません。そしてこの映画を3Dで観れなかったことは一生の不覚です。ショーヴェ洞窟には誰も入れませんし、今後さらなる撮影が行われる話も今のところありません。3D設備を整えた名画座もないし、この貴重な3D洞窟の映画を3Dで観る機会はほとんどないのです。資料としても価値ある本作の3Dでの鑑賞の機会、ないものでしょうか。お願いですからなんとかしてください。
映画は洞窟内の撮影と調査に参加した学者たちのインタビューなどで構成されています。
学者たちのインタビューもかなりおもしろいです。こういうことを研究してる人達ってのはたいそう面白い、もっといえば変な人達です。昔の恰好をしてみる人、臭いで洞窟を探す人、ヤリを投げる人、この変人たちが変人ならではの追求をすることによって様々なことが解明されていくんですね。
男前の「元サーカス団にいた」という彼なんかもとてもいいです。ライオンの夢を見るくだりなど、科学者か芸術家かわからなくなるほどの精神活動に感銘を受けます。じつは学者ってのも芸術家の一種ではないかと密かに思いました。
この映画ではなく別のテレビ番組で見たんですが、吹きつけによる描画技法を実践しているベテランの研究者もおられます。炭を口に含んでガリガリ噛んで唾液と混ぜ、壁に手を置いて口でぷっぷっぷっと吹き付けます。へーっと感心したものです。あのおじいさんなんかもかなりの変人でした。心が太古の人間になりきってました。
3万2千年前の洞窟壁画のすばらしさに息をのみます。
力強く動きがある動物たちです。走っている姿など足がたくさん描かれていたりします。未来派の美術のような処理を施した現代的な技法も散見されます。リアルに描かれた動物たちは、洞窟の壁面の凹凸やろうそくの炎の揺らめきによって生きている以上の存在感を放ったことでしょう。太古の人々は畏怖とトランスでもってこの絵に触れたに違いありません。
3万年前、ここで絵を描いた人類最古の芸術家は手形も残します。人類最古の芸術は絵画と音楽です。彼らはきっとシャーマンであったことでしょう。現代でも、伝統的な民族の絵を描く人は「絵を描かされる」と認識しています。見えざる大きな存在によって洞窟に生き物を発生させることが即ち絵を描くことであるという認識です。
絵と音楽による原初トランスは宗教的儀式と解釈されています。しかし儀式的な原初のトランス状態こそが芸術の根本であるという順序で考えるのが筋というものです。現代においても絵画や音楽はトランスありきと認識していますし、芸術家がいくら自己顕示しようと彼らの手から生み出される作品は半ばオートマティスムによって発生させられているわけです。一本の美しい線を描く時、座標を計算しながら描くわけではなく、何故か自動的にその線は生み出されます。ものごとを思いつくとき、何故か自動的にひらめくのです。この根本は太古の人類も今の人類もまったく変わることがありません。絵描きや音楽家は今の時代でもシャーマンであり見えざる大きな存在の代弁者であるということに違いはないのです。
だいたい宇宙とか太古とかいけません。たいていそういう話は脳のどこかをビシビシ突いてきて、空想と想像が止め処もなく広がり、目眩がするほどの興奮状態をもたらします。
真にすごいのは昔人間の息の長さです。例えば、ある壁画の近くに別の絵を継ぎ足して描いてあったりします。で、この継ぎ足した時代は、前の壁画の5千年後だったりします。つまり5千年間、同じ洞窟に同じような目的で入り、同じような儀式か何か知りませんがその何かをやっているのです。継続していたのかもしれないし全然別の人達かもしれませんがとにかく継続しています。
ラスコー壁画は1万5千年前ですが、そうすると3万2千年前までの1万7千年にわたって「似たような文化」の元で人類が過ごしてきたということになります。これほど長きにわたって継続する文化的社会がどのようなものであったかなど想像することも難しいです。
たかだか数百年の現代の文明の時代なんかもうあとそれほど保たないし、5千年1万年単位の継続的文明なんてとても考えられません。近年最長と言われているアメリカ先住民の驚くべき文化社会の時代は、煙草のおかげもあって2千年以上続いたそうですが、軽くそれ以上のスパンです。
太古の人類は進化途中で頭が悪い野蛮人だからこれほど社会が長続きしたんでしょうか。違います。
例えば放射性廃棄物は少なくとも10万年は厳重に保管しつづけなければならないんですが、3万年の時を思うだけでこれほどくらくらするその年代感覚を未来に向けて×3してみればわかります。そんなこと出来るわけがありません。これはつまり、どこをどう切り取って考えても現代の人間の頭の悪さを露呈しています。頭が悪く、想像力が貧困で、刹那的で信仰不在、多分、人類誕生以来、一番アホなのが現代の人間です。
現代の文明社会は長期継続可能なモデルを一切考慮せず、短期に食いつぶして荒らし回ってさくっと消滅させてしまおうとする破滅思想の元に成り立っています。宇宙の原理など知りませんが自分で勝手に決めつけるところによりますと、それはふたつありまして、ひとつは「あるものはそれ自身と等しい」というアイデンティティに関わる原理、もう一つは「ある存在は消滅しないかぎり存在する」という存在に関わる原理です。簡単に言うと生を肯定する思想に繋がります。存在の原理を踏み外すことを目的とした場合、つまり消滅を目指す生き方というのはこれは基本原理に反していると私なんかは勝手に思ってるわけですから、存在の消滅を目指す社会を短期に構成している現生人類の愚かさを痛感しないではおれません。太古の壁画が未だに残っていてそれを見ることが出来るという事実に感動するということは存在の原理を体現しているということです。何とも思わない人もいるかもしれませんし。なんか話があっち方面に向かいそうなので大概にしときますが、私を教祖として崇めたい人はお布施を持って来てくれれば非課税宗教法人作りますんで入信OK。今なら幹部になれます。
ひどい冗談はさておき、いきなりとってつけたような話をしているとお思いかもしれませんがそうでもありません。3万2千年前の洞窟に思いを巡らせた後、この映画はショーヴェ洞窟がどこにあるのか最後に確認するのです。そしてその場所に何があるのかを知ることになります。そうです原発です。付近は温排水で出来た熱帯雨林公園になっていて、そこで生まれた畸形の鰐をヘルツォーク監督は丹念に描きます。洞窟壁画の記録映画の最後にこれを突きつけることによって、単なる記録映画を超えた「忘れられた夢の洞窟」という見事な映画作品を完成させました。
貧困な想像力しか持たぬ種類の人間は10年後すら想像できないようですが、この映画で洞窟壁画を見ていると数万年のトリップをさせてくれます。
アルビノの鰐にも等しい現代の人間にわずかでも知恵と想像力があるでしょうか。
いろんな思いを巡らせることができる太古の洞窟壁画、その貴重なドキュメンタリーでした。洞窟や壁画が好きな人はぜひどうぞ。
しかしそれにしても3Dで観たい・・・