「ハイドアンドシーク」は何となく長い間気になっていて、でも何か今一歩観るに至らないという、個人的にそういう類の作品でした。
で、結局観たわけですが、観てすぐはいろんな語りたいことが湧き出てきます。我が家映画部でもああだこうだと散々糞味噌に、もとい散々思うところを語り明かしたわけですが、今となってはそれもどうでもいいことです。
つまり悲しいかなこの作品は、どうでもいい映画であったということです。
ただのどうでもいい作品は沢山あります。しかし「ハイド・アンド・シーク」は妙に出来がいいだけに残念なんです。よくできた映画なのになぜか印象に残らない。悲しすぎます。作った人も浮かばれません。
ひとつには優等生すぎることかもしれません。もうひとつは良いシーンや良い展開はたくさんあっても、そのどれもがいつかどこかで出会った感じを受けることです。
この映画、いろんな名作映画を彷彿とさせる展開やシーンが目白押しで、悪く言えば名作映画の寄せ集め、良く言えば名作映画と比較されうる名作性を秘めた順名作、と、こうなります。
幼い子供が心に傷を持ち見えない友だちと遊ぶという設定、今では「イマジナリー・フレンドもの」などといってジャンルの如きです。
しかし誰がどうあがいても大御所「シャイニング」にはなれません。ですから敢えてここで大物デ・ニーロを起用して新たな大御所を狙ってもそれは無理というものです。名作をいくら追っても名作にはなれません。
さてそんな映画見すぎのおっさんの戯言は置いといて、普通に見ればきっと十分に普通に楽しめます。この手の話に慣れていない若い人は超お得なので、純真さを忘れないまま素直に見ておののいてほしいところです。
ロバート・デ・ニーロとダコタ・ファニングの安心名演技も堪能できます。それなりに怖いシーンも堪能できます。
この映画を気に入った若い人が、じゃあこの映画の元はなんなんだ、と過去の名作を見て回るきっかけになるかもしれません。
それはそれで大事なことです。
映画が全て歴史的名作ばかりだったら作るほうも見るほうも大変なことになってしまいます。
名作へのインスパイア系イマジナリーフレンド系ホラーありスリラーあり感動ありの幕の内系といえば「永遠のこどもたち」を思い出します。
同じ詰め込み系ノンジャンル複合ジャンル系心理系霊系の場合、ハリウッド+大物ってのがかえって足枷になってしまうということがよく判ります。
この手の作品てのは、ちょっと荒っぽいくらいのほうがいいんです。
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