前半はスタイリッシュな映像を中心にサルバドール君(ダニエル・ブリュール)のやんちゃっぷりを回想形式で描き、後半はスペイン映画らしい情感たっぷりの演出で描きます。
社会的な背景はあまり描かれず、予備知識なしで今の時代にこの映画を見ると、ただの調子に乗った犯罪者の話に見えてしまうかもしれません。
実際、この映画は彼らの反政府活動を詳細に描かず、ただの若者の暴走、映画中のセリフを借りれば「ぼんぼんの革命ごっこ」としてしか描いていません。非常に稚拙で子供っぽい活動=犯罪です。
フランコ政権に対する反政府活動は様々なレベルで起こっていただろうし、チリのアジェンデ政権誕生からクーデターに至る時期の世界的な激動の中、サルバドールのような時代に翻弄されて”その気”になっていただけに見える若者も多くいたことでしょう。
「ぜんぶ、フィデルのせい」に登場する”ヒゲの革命家”たちも、似たような人々かもしれません。
しかしそういう人々を含め、あらゆるレベルでの活動が大きなうねりとなって庶民も巻き込み、独裁政権を打倒する力のひとつになったとも言えるし、時代の中で誰がどのような役割を果たしたかというのはそれは簡単に判断できることではないのでしょう。
この作品で社会的な背景や彼らの活動を詳細に描かないのは、この映画のテーマが別のところにあるからだと思います。
それは死刑制度です。
死刑制度を未だに堅持している国の人間が見るのと、すでに全面廃止あるいは事実上廃止している先進国の人間が見るのとではやはり大きな違いがあるだろうと思われます。
スペイン人にとっても、独裁政権と死刑制度はすでに過去の忌まわしい歴史物語のひとつです。過去といっても70年代半ばのほんのちょっとした過去ですが、それでも過ぎ去ったことに違いありません。
ほんの数百年前まで残虐極まりない蛮行を繰り返してきたヨーロッパ人ですが今ではどういうわけか民主主義を勝ち取った先進国です。不思議な人々です。
国や政府が支配者・権力者であれば国民の命も手中に収めていますから生かすも殺すも好き放題です。しかし国や政府が民主主義を原点とするのであれば国民そのものが国であり政府なのでありますから当然人の生死を掌るような傲慢はかましません。
そんなわけで、この作品ではフランコ独裁政権と残酷な死刑を一体の物として描き、死刑制度がどういうことなのかを示そうとしているように感じられます。
感じられる、というのは、実はそこまで明確にメッセージが伝わりにくいからなんですが。 演出的に。
死刑問題と言えば「デッドマン・ウォーキング」を思い浮かべますね。見ていて思い出しました。このテーマに絞って言うならば「サルバドールの朝」は「デッドマン・ウォーキング」の圧倒的迫力には遠く及ばないかもしれません。
二つの映画に共通するのは、死刑を宣告されるのが冤罪や微罪ではなく、きちんと犯罪者であるという点です。
サルバドール君を演じるダニエル・ブリュールはスペイン生まれのドイツ人。「グッバイ・レーニン」(2003)で知られるようになり、最近では「イングロリアス・バスターズ」(2009)で強烈な役を演じたことから、先に「イングロリアス・バスターズ」を見てしまっている私のような人間にとってはその印象が強すぎて困ったことになってしまうという事態に。
元恋人クカはマドリッド出身のレオノール・ワトリングです。「トーク・トゥ・ハー」「タブロイド」のあの女性です。やはりそうであったか。私は気付きませんでした。今一番注目株のスペイン人女優さんでございます。しかし「タブロイド」より随分若く見える本作が2年後の映画なんですね。もともとちょっと童顔で年齢不詳な感じですね。
あ「ベビー・ルーム」もうそうでした。「赤ちゃんの逆襲」にも出てましたか。へえ。
この作品、やたらスタイリッシュだったり、かと思えば冗長な感情的演出だったり、内容に対して必然性があるのかどうなのかちょっと疑問な演出方法が目立つところや、弁護士の活動や世間の動きが描写されず物足りないと感じる部分も多くあります。
スペインの映画は感情的なじっとりする演出が多いんでしょうか。何となく見てきたスペイン映画ってそういうの感じます。日本人的には親しみがあるかもしれませんね。
が、そういうのは置いといて、サルバドール君には4人の姉妹がいまして、この姉妹がまあ皆さん別嬪さん揃いで、妹も超可愛いし、こんなお姉さんや妹に囲まれて何でまた革命家ごっこなどに身を投じたのかと残念でなりませんね。と、虚構との区別がつかない陳腐な感想で品格を落としまして今日はこのへんで。
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