酒飲みでだらしなく口の悪い作家リー・イスラエルはかつて伝記小説でベストセラー作家になったこともありますが生活が立ちゆかない状態に落ちぶれております。人嫌いで社交辞令もできず社会不適応者の作家ですが、そもそも作家というものは多かれ少なかれ社会不適応者であります。作家に限らず広く芸術家というのは社会の落伍者であると言ってもいいのでありまして、それは決して悪口ではなく、そもそも社会のほうが狂っているから自由人はそのようになります。
そんなことは置いといて、作家リー・イスラエルはひょんなことから高名作家の手紙が収集家に売れるということを知り、捏造して売りさばくようになります。その犯罪を行う中、謎の遊び人で同類種族のジャックと知り合い友だちになったり共犯者に仕立て上げたりします。
この映画、あまり気負うことなくドラマが粛々と進行しまして、その中に犯罪やらアル中やら暴言やら不潔さやだらしなさなども含まれますが決して大袈裟にそれらを表現したり度が過ぎたりすることもなく極めて実直に物語を展開させます。基本的に優しい映画です。リー・イスラエルは多少口は悪いが悪人ではないし、人嫌いと言っても孤立無援の変人というわけでもありません。管理人の母親に優しかったりお店では優良なお客で書店の女主人とも仲良しになるし猫も可愛がります。
このリー・イスラエルを演じたメリッサ・マッカーシーの魅力がすべてと言っていいかもしれませんね。コメディアンヌでこれまであまり高評価を得ていなかった女優さんだそうですが「ある女流作家の罪と罰」で評論家も一斉に大絶賛、みなが褒めちぎりました。アカデミー賞ノミネートもされたそうです。
酒飲みで社会不適応者で同性愛者で犯罪者のこの主人公をこれほど愛すべきキャラとして演じ尽くしたメリッサ・マッカーシーに敬意を表します。
愛らしさもあるリー・イスラエルに対して、ややクセのある友人ジャックを演じたのが「ウィズネイルと僕」のリチャード・E・グラントで、「ウィズネイルと僕」は売れない役者の役でしたが今回は割と謎の遊び人で、歳を取ってしまったけど何かになりたかった人という、悲哀を感じさせる役柄でした。最初アパートまでリーを送り届けた直後のたばこを吸うシーン、リーの部屋で羽目を外したあと猫を探してエサと薬をやるシーン、そして最後の杖付いてお店を去るシーン、どれも見事でした。
さてこの良作を監督したのが、女優でもあるマリエル・ヘラーという方です。テレビドラマなどに出演した後監督もするようになって、劇場長編映画はこの「ある女流作家の罪と罰」が最初みたいですね。高評価につき2019年も早速劇場作品の制作に取りかかっておられるようです。
スイングジャズのバックグラウンドミュージックをベースにやや懐古調の舞台設定も印象に残ります。立ち寄るバーやクラブは文化の香りが漂います。手紙を売りに行く書店にも今となってはノスタルジックな印象を受けずにおれません。
リー・イスラエルの仕事や手紙の捏造でわかるとおり、この人は40年代から50年代の文化に傾倒しており、そのために売れなくなってきたというのもありますが、とにかく50年代ニューヨークの文化へのノスタルジーはこの映画でも貫かれています。書店、作家、文学、伝記、タイプライター、手紙、映画、バーにクラブにジャズ。描かれているものはいかがわしさも含めて文化の香り漂う世界です。かつてこのような世界があったし、我々はこのような世界に住んでいた。失ったものの多さを実感します。
主人公リー・イスラエルは伝記作家であることを貫いています。個人剥き出しの作家性よりも、伝記作家としてのプライドがあり、職業作家のプロ意識を垣間見せるシーンがあります。これ、非常に重要です。手紙の捏造はただ捏造しただけというより、そこに伝記作家の使命とプライドそれに創作の力を混ぜ込みますね。
伝記作家は自己顕示欲の固まりであるようなタイプではなく、資料に浸かって地道に創り上げる職人的作家です。音楽でいうとロックスターではなくスタジオや公演で演奏する音楽家です。絵で言うとプレゼン能力に優れたスターアーティストではなく地道に作品を売ったり、あるいは依頼されたものを依頼主に感情移入して描いて提供する職人画家です。あっ。そうか、そういうことで私はこの映画の主人公に入り込んだのかも。
その伝記作家が、いろいろあった末に自伝小説を書きました。彼女にとってこの犯罪と友情と仕事熱の物語を自伝小説に書くことはどういうことだったのだろうかと思います。どういう文体で綴っているのか興味あるので読んでみたいものです。自伝小説は映画と同じ「Can You Ever Forgive Me?」で、一見、捻りも何もない素直なタイトルで、ここにも作家性を感じてしまいますね。
ニューヨークで文化と夢の世界に住んでいたくて、でも生活が立ちゆかなくなる落伍者たち。多くの映画でもこういう人たちが描かれてきました。現実にもこういう人たちが沢山います。彼らは身の程を知らない馬鹿者でしょうか?現実逃避の夢追い人はただの負け犬ですか?地道に働けない役立たずのクズですか?文化なんて所詮ただの流行で無駄で非合理ですか?
違います。人の魅力と社会への順応には何の関係もありません。文化と飯の種にも何の関係もありません。無駄と非合理が何かの尺度で劣等などということはありません。
400通もの手紙を本人が憑依したかのつもりで書き綴った彼女の犯罪=仕事の物語に彼女は「いつか許してくれますか?」とタイトルをつけました。これは犯罪にだけ当てはまることばでしょうか。
ということで、とても良い映画でした。日本では劇場未公開だそうで、もったいないことです。