「観たい映画」にメモったまま忘れていた「ROOM237」(2012年)を今更ですが観ましたので今更ですが感想行きます。
キューブリック神
ある種の人間にとってキューブリック監督作品ていうのは絶対的なものでして、それによってその後の人生の方向を決定付けられたりします。特に「2001年宇宙の旅」ですね、これはいけません。これはもうね、何といいますか、別ものなわけですね。映画の影響とかいうレベルを超えた存在、最早アートの域で哲学の領域で宗教に近い崇拝者も生み出しました。
一般的には「博士の異常な愛情」と「時計じかけのオレンジ」を含めた三作が経典でございますね。はい、白状しますけど私にとってもそうでした。
ぼくとシャイニング
「シャイニング」には甘酸っぱい青春の思い出もあります。あまりの怖さにトイレを我慢できなくなり、ついにラウンジのトイレシーンを2分ほど見逃してしまったという。これが悔しくて、半泣きで後日また劇場に出向いて見直したものの「初見でこのシーンを見逃した損失は一生涯消えることはないのだ」とトイレシーンの素晴らしさに人生の不可逆を痛感し苦悩しました。
ROOM237概要
さて「ROOM237」ですが、キューブリックのマニアたちがシャイニングについてあれこれ語るという映画です。キューブリックや「シャイニング」の制作者、その他あらゆる関係者とは無関係にマニアがただただ語ります。
そう聞いて想像出来るとおりの内容で、背景の小物、ちょっとしたセリフ、立ち位置などを分析しまくり「シャイニング」のシーンを再生しながら「これはこういう意味なのだ」などと語ります。
妄想分析
むかし「五島勉のほら当たった」という本がありました。違った「ノストラダムスの大予言」か、そういう本がベストセラーになったことがありました。些細なこじつけを連発して「これはこれに当てはまる」「これはこのことを指している」と妄想を炸裂させた面白い本でしたが、これはノストラダムスに限らず、古代遺跡や芸術作品やフリーメーソンやキューブリック映画や「スリービルボード」など、あらゆる物事に当てはまることでもあります。
みんな、妄想炸裂超分析が大好きなんですね。映画感想のMovieBooというこのブログも妄想探偵が「差別主義者は許可を得た差別としてたばこを標的しているファシストである」などと似たような超分析を行っています。
そんなわけで「ROOM237」の妄想分析を楽しく拝見できたわけですが、すごく面白い視点や「へえ」と感心するようなものから「何言うとんのんこいつあほでっか」というような幼稚妄想まで、いろんな人がだらだらと喋ります。「シャイニング」の映像もたくさん出てきます。
キューブリック作品にかぶれた経験者で、妄想分析を楽しむことができる優しさとオタク気質を持つある種の同類であるなら「ROOM237」を存分に楽しむことが出来るでしょう。そうでないなら退屈で見ていられないでしょう。
具体例
ちょっと具体的に行ってみます。この映画の中で面白かったのは、私には赤いフォルクスワーゲンを事故車にしたという話です。スティーヴン・キングの原作では主人公たちは赤いフォルクスワーゲンに乗っていたそうなんですが、映画では黄色い車に変更になっていて、赤いフォルクスワーゲンが雪道で事故って壊れているシーンをわざわざ用意しています。原作者に対する宣告だと映画内では言いますがこれは面白い指摘ですね。
あとダニー少年が遊んでいてボールが転がってくるシーンの絨毯の模様(少年の位置変更)の件など、こだわりの映像作家ならではの細かい指摘の数々はさすがに面白かったです。
くだらない妄想の最たるものがタイトルにもなっている237号室の件です。ここはずっこけまくりの「頭だいじょうぶか」状態になりますね。すなわちこうです。「237号室のドアにルームキーが挿してあり札にROOM No.237とある」「大文字はROOMとNである」「並べ替えるとMOONである(?)」「つまりMOON ROOMである(?)」「これはキューブリックがアポロの月面シーンを捏造したことを白状しているのである」「数字は月面シーンを撮影したスタジオ番号と合致するのである」いや、もうね、ここまでくると見ているこちらに笑える余裕があるかないか問われますね。
そっち方面の方には「ムーン・ウォーカーズ」をオススメしておきますのでぜひご覧ください。
超分析余談
私は昔、妙な似非オカルト本や預言書みたいな怪しい本を友人にまとめて読まされたことがありましたが、だいたい似たような超分析を行いますね。ヨーロッパの古典に「東の空に太陽が昇るとき」みたいな記述があれば「東から登る太陽というのは日本のことを指している」などと平気で書いてそれを前提にその後の予言を的中させたりします。こういう人の妄想にかかれば、旧約聖書の中に田中角栄の逮捕が記述されていることになったりするんですよ。すごいですよね。
それとあと数字です。数字ってのは10進法だと0〜9までしかないですから、これを割ったり掛けたり足したり引いたりしたらどんな数字にも合致させることが出来ます。ピラミッドの長辺と地球から月面までの距離を合わせることもできますし、私の誕生日を木星の直径と合致させることもできますし、言語と対応させれば4649とか893とか暗号を作ることも出来ます。何でもできます。
2×3×7=42ですが、それがどうかしましたかという話で、どうせなら「42は日本語では『死に』だからこれは死を現している」くらい言えばいいのに。
皆フィネガンズ・ウェイク
という馬鹿な話は置いといて、それとは別にある種の映画監督が画面を作るときに細部まで拘り抜いていたり、小ネタに自分の知見を突っ込んだり含ませたりすることはこれは当然あります。私にだってあります。実は多くの表現者は皆ジョイスなんです。みんな小物ひとつ、小ネタ一つ、言葉一つ、音階一つ、構成、尺、すべてのものに複合的に意味を込めます。意識的にやることもあれば無意識的にそうなってしまう場合もあるでしょう。表現された断片はその人の人生でもあり下手すれば人類の遍歴である可能性すらあります。あらゆる表現されたものには「フィネガンズ・ウェイク」ばりの多重の意味が含まれます。
それを分析するのは大いにありです。ただし分析者または聞き手が未熟な場合、本末が転倒することがよく見受けられますので注意が必要ですね。
例えばホラー要素として虐殺の歴史を含ませたことを分析するのは重要ですが、それを「この映画は虐殺の歴史を描いた映画である」と受け取ると「お前アホか」となります。
憎めない
「ROOM237」は感心する指摘やくだらない妄想など、いろんなマニアの話が詰まっているドキュメンタリー映画で、今ならYouTubeなんかに転がっていそうな言ってみればどうでもいいような内容です。にもかかわらず面白く見ることができるのは、これはやっぱりひとえに「シャイニング」の魅力に他なりません。それと、マニアたちの超分析がただ病的に妄想を炸裂させているのではなくて、映画のシーンを繰り返し見てそこから想起されたというところが憎めないところなんですよね。なぜならそこに愛情が溢れているからです。