ポール・ヴァーホーベン監督の最近作で「トリック」ってのがありましたよね。あれが大層好きで、大層好きどころかもの凄い威力の映画でした。でも今初めて知りましたが「トリック」は劇場映画ではなくてテレビ映画だったんですか?そうなんですか。でも取りあえず前にも書きましたが「トリック」最高ですよね。と思ったらあれれ?「トリック」の感想文ありませんね。なんと、前に書いてはいませんでした。
そんなことはともかく、ヴァーホーベン監督のファンは多くて、例えば「ロボコップ」や「スターシップ・トゥルーパーズ」のファンもいれば「氷の微笑」のファンもいればオランダ時代の映画のファンもいれば「ショーガール」のファンもいるわけで、凄く人気の監督です。私は「ショーガール」で一気にファンになったという幸せ者で「スターシップ・トゥルーパーズ」を敬愛しついに「トリック」で大尊敬する羽目になったタイプです。
そんなことはともかく「ELLE」です。これは系統としては「トリック」の後半にとても近いタイプの所謂ドラマってやつですね。そういう系統です。
冒頭はとてつもなくショッキングなシーンから始まります。それはレイプです。いきなり攻撃的な映画として始まり、イザベル・ユペールはレイプされた直後に刺身を注文して息子と食べたりする大人の女です。
まるで復讐を目論むかのような振る舞いも見せつつ「ELLE」という映画はこの主人公女性の暮らしっぷりを追いますね。乱暴に一言で言うならば「ELLE」はカテゴリー「女性」映画です。
ELLEが描く女性は複雑怪奇で尚且つ素直でナチュラル、単なるレイプ被害者ではなく被害を受けますがミシェルという一人の人間、一人の女です。女性性を否定するでもなく肯定しまくるでもなく捕らわれるでも藻掻くわけでもなく、復讐するマシンでも変態性に目覚めるアブノーマルでもなく、幼少期のトラウマしか能がないような単純化された虚構人間でもなく目的に向かって努力と根性で乗り切る筋肉脳キャラでもなく蝶のように舞うふわふわ乙女でもなく愛と性にうつつを抜かす子宮人間でもなく一貫した正義漢を持つ人工キャラ風味でもなく巧みに悪を育む危険な女でもなく、そしてそれらをまんべんなくすべて備えながらフェミニストが見たら怒り出しそうな気配を漂わせながらストーリーに一貫性を求める観客を横目にみながら常に何かしながら何もしなかったり色々したりするという、そういう女性、そういう映画、そういう虚構でありまして、これをイザベル・ユペール以外の一体誰が完璧にこなせるというのか!どん!いてっ。
すいません思わず力みすぎました。
例えば息子カップルいますね。息子も彼女もとても良いキャラです。彼女なんか見ていて「大阪のおばはんお姉ちゃん」のイメージでした。「あんた!あのな。同じ事3回も言うたで。家で一回、車で一回、聞いてんのか!」めちゃおもろい姉ちゃんです。
息子の味わいも大変なもので、彼女に家を追い出されたって逃げてきたシーンとかかなりいいですね。お母ちゃんであるミシェルがなぜ追い出されたか訊きますね。
「仕事やめたから…」
「なんでやめたん」
「車が壊れたから」
「あ?」
「車がないと仕事行くのに1時間かかるんやで。地下鉄とか乗って」
「それが理由で仕事辞めたんか」
「地下鉄には悪い空気が・・・」
「あんたあほちゃうか」
「彼女と同じようなこと言わないでよ」
みたいな感じの会話で、おもろすぎるやろー。
「ELLE」なんですが、強烈レイプシーンで始まったり、想像を絶する生い立ちが語られたり、犯人捜しに見える不穏なパーティシーンがあったり、犯人との絡みもあるし、変態プレイもあるし実は映画を観ている間はドキドキしっぱなしで、恐ろしくて不安で、胸騒ぎのシーンもあるし、大層つらいんですよ。ところが映画を見終えて一杯飲んでさらに夜に映画の思い出話に花を咲かし始める頃になると、どういうわけか面白いシーンばかり思い出すんです。
あんな面白いシーンがあった、あんな面白いシチュエーションあった、あそこの緊張は裏を返せばなんと笑えるシーンであったか、と、「ELLE」に潜むユーモアが怖さを翻します。
この映画にユーモアを持ち込んだのは役を理解し尽くしたイザベルの提案でもあったらしいですね。まったくこの怪奇女優の底知れぬ力は何事かとまたもや畏れおののく事態となりました。
さてカテゴリー「女性」という映画が他にあるとすれば、それはペドロ・アルモドバル監督の「神経衰弱ぎりぎりの女たち」です。
ファッションアイテムとキラキラお洋服、愛に壊れるハートを持ち欲望に素直である女性たちが強烈キャラでドタバタを演じるあの映画、底の浅い目で見ればフェミニストが怒り出しそうなあれをペドロ・アルモドバルは「ジャンル”女性”映画である」と語ったとかなんとか。表面的にどう見えようとあの映画の女性は女性として決して単純化できないのでありまして、エンディングの女性二人による語らいシーンと「ELLE」の墓場で語らいながら去って行くラストシーンがイメージ的に被ります。
もう一本、最近の映画があります。パク・チャヌク監督の「お嬢さん」です。これも同様に女性映画と言えるかと思います。やや単純化されているとは言え、どんでん返しの果ての女性二人のエンディングが強烈でした。
「ELLE」と「神経衰弱ぎりぎりの女たち」と「お嬢さん」は共通のラストシーンと、そのラストシーンを見たときにこちらが受ける印象というものがとても似ています。ラストから映画を俯瞰するとき、そこにあるのは役目を規定されない女の姿であり欲望に忠実なナチュラルさであり何事も楽しく済ませてしまう楽天的つまり強い人間の姿でありました。
ということでこの三本の映画から「女」映画を読み解く暴挙を平気でやるのはMovieBooの映画感想だけです。おっと、何わけのわからんこと言うとんねんこの気ちがいと今思いましたね。その通りですのでほどほどにお読みください。
本編が面白すぎてこれから観る人の楽しみを削いでもいけないので、大事そうでぜんぜん大事じゃないかもしれない細部についてちょっと書きます。
原作では映画会社の社長だそうですが映画ではゲーム会社です。ヴァーホーベンの娘さんのアイデアだそうですね。それはいいんですがこのゲーム会社がゲーム的にとても象徴的だったので言いたいことが出てきました。
ビデオゲームは大きな市場を得ましたが文化的にはある時期に文化になり損ねて以来そのまま今の状況にあります。ある時期とはいつの時期かというとビデオゲーム機の性能が上がりゲームが映画の真似をしようと試みだした頃ですね。
昔と違い今は性能が高いので映画のような表現も可能になりました。それは良いことでもありましたがゲームがゲームである前に映像作品に堕ちてしまった元凶にもなりました。
ゲームを作るとき、何より重要なことはどのようなゲームかということですね。ということはもっと根本でいうと操作に対するフィードバックのプログラムということで、これ即ちゲームです。このゲーム部分に綺麗な皮を被せたりお話をくっつけたりしてよりふくよかに作り込みます。
昨今では多くのゲームがまったく異なる方法で作られるそうです。即ち、まずストーリー設定やキャラクターを考え、そのお話にちょうどよい思われる(既存の)ゲームアイデアをくっつけるという、本末が転倒した作り方です。要は映画のような作り方なんでしょうか。ゲームとして面白くなるわけがありません。
で「ELLE」ではまさにそのままのことがシーンとして描かれます。制作途中のゲームに対する駄目出しは表面的表現のことばかり、新しい企画は「近未来の設定で・・・」とやらかしますし、つまりほとんど原作の映画会社という設定をそのままゲーム屋に当てはめているだけの脚本ということがわかります。
何をだらだらゲームについて書いてるんでしょうか。というわけでそういうのが面白いなとちょっと思っただけで、リアリティがあるのかないのか不明なゲーム制作に関するシナリオに文句があるわけでもないし、映画的に重要だと思ってるわけでもなく、ただの雑談として書いただけですのでお気になさいませんよう。
話を「ELLE」に戻します。
息子カップルの面白いことを書きましたが、他のキャラも愛おしく良いんです。そうですね、お隣さん夫婦の奥さんなんかかなり素晴らしいです。ラスト近くに主人公ミシェルと会話するシーンがあるんですが、あれなんか最高のシーン、最高のシナリオでした。具体的には書きませんのでぜひご堪能を。
それからアンヌ・コンシニが演じている親友アンナですね。この人もいいです。ラスト最高です。途中「お嬢さん」みたいなドキドキするシーンがあるんですが、正直「お嬢さん」みたいなシーンは要りませんので次行ってくださいと祈ってしまいました。失礼なことでほんとすいません。祈りが通じて次のシーンに移りましたが、実際には撮っていたそうですよ。すごいことです。もう尊敬しかありません。
「ELLE」は“女性”映画であるからして、登場人物のほとんどの女性が素晴らしく生き生きしているのに対して、男共はどいつもこいつもふにゃふにゃの情けない役どころとなっています。最強の情けなさは父親についてのオチの付け方ですね。ストーリーに一貫性を求める目線で見てしまうと父親絡みの何らかの強い物語が発動しそうですがそういうのをサクッと裏切って単なる情けない男という他の登場人物とさほど変わらぬどうでも良さに帰結しまして、こういう裏切りのコンセプトみたいなやり口、とても好きなんです。人を食ったような展開といいますか。
女が立っていて男がふにゃふにゃと言えば先ほど女三部作として挙げた作品にも共通しますね(まだ言うか)
今回「ELLE」の上映にあたりポール・ヴァーホーベン監督は来日してインタビューも受けており、いろんなサイトでその記事を読むこともできますね。興味深い映画制作の話をいろいろ聞かせていただきました。とてもシンパシーを感じましたので、少し生きる希望を得ることもできたのです。
原作ファンであり映画化を望んでいてもちろん自分がその役をやりたかったという天才イザベル・ユペールが、アメリカ映画では出演女優すらいないというヴァーホーベン監督と組んで壮絶な一本が出来上がりました。奇跡的とすら思えますが奇跡なんてありません。それは奇跡という必然です。あまりにも天晴れ、見事な映画でした。
イザベル・ユペール出演作では最近の「アスファルト」がまた大傑作だったのでして、あちらこちらにこの大女優はオーラを放ちまくっておりますね。
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