イギリス留学を控える娘エリザと父親の医師ロメオです。エリザが暴漢に襲われその動揺のため卒業試験が危ぶまれるということで、父ロメオは娘のためにあらゆるコネを駆使して試験に合格させようと奔走するお話です。
お話はそうなのですがもちろんクリスティアン・ムンジウ監督がただのサスペンスフル父と子の愛の物語なんぞを素直に作るはずがありません。このストーリーをネタに描くのは父の過剰で偽物臭い愛情とか娘の反抗とかそういう些末なことではなくて、国家の有りようと価値観の変遷、世界を覆い尽くす独善的で歪な新しい新世界価値観とその価値観を絶対正義とする世代の埋まることのない世代間ギャップ、さらに取り残された旧世代人の悲哀と絶望です。
示されるストーリーがサスペンスフルでわかりやすいので、衝撃的で残酷で絶望的な作風の映画ばかり作ってるムンジウ監督作品の中ではいたって普通っぽい印象を受けたりしますが完全に罠。父娘のホームドラマに隠れた奥ゆかしい残酷にじわじわ気づく強烈な社会派映画の側面を持っています。この映画で描かれる影のストーリーは壮大です。
それに加えてすべての登場人物が魅力的で、語らぬバックボーンに空想が広がります。特に父ちゃんの古い同士とのドラマは、この映画が父子を越えた国の歴史と価値観の変遷についての映画であると明確に物語っている部分でした。
変な話ですが、劇中「サウルの息子」を思い出す音楽と演出にも出会えたのが楽しい偶然でした。つまり劇中ラジオで鳴っている曲が「サウルの息子」の予告編で使われたあの曲なんです。「King Arthur: Act III: Cold Genius: What Power Art Thou」ですか。予告編でのみ使われた曲なので特に意味があるわけじゃないんですがそれが鳴っていたことで胸騒ぎを増幅させられ、妙な気分でした。
クリスティアン・ムンジウ監督の待望の新作「エリザのために」が公開中です。この映画のただ者でなさは置いておくとして、取り急ぎ紫煙映画としての好感触をお伝えします。
いろいろあって父親が娘の部屋で少しお話します。立ち去り際、さりげなく父親が娘に語りかけるその言葉に愛を知る喫煙者は心動かされることでしょう。
「たばこも吸ってるんだろ?吸っていいよ」
多少思い通りではなかったかもしれないが娘に対する愛情が籠もっていますね。いつまでも子供と思っていたけど、娘は人間として自立した存在です。それを踏まえた発言です。
娘は煙草は吸わないかもしれません。そんなことは問題ではありません。彼女をひとりの人間として扱おうとした父親の覚悟のシーンでもあります。
「エリザのために」では他にもよい喫煙シーンがたくさんあります。若い頃からの付き合いでかつて同志であったことが伺える警察署長との絡みで、署長がくるくると手巻きの煙草を作るシーンなんかもそうですね。
ムンジウ監督の過去の作品と比較するととても穏やかな印象すら受ける「エリザのために」ですが、父娘のドラマに隠れた国家レベルの絶望を体現する大人たちと絶望世代の娘たちとのギャップを突きつけるきつい話でもあります。というそっち方面は本家で書くとして、取り急ぎ紫煙映画としての素晴らしさをご紹介しました。
「エリザのために」チラシ