感想はすでに別のブログに書いていて、それは煙草映画に特化したふざけたブログでしたが飽きたので廃止してこちらMovieBooに統合したんです。そっちから引っ張ってきたポストで失礼します。
スタジオ・ジブリのアニメ映画「風立ちぬ」が公開されていた当時、煙草に関するいくつかのあほみたいな議論が目についていました。それを思い出して、ちょっと今更だけど観てみましょうということでぐったり二日酔いの最中に観てみました。
映画についての感想は別で書くとして、煙草シーンの素晴らしさに感動しまくり、ただ単に喫煙シーンが登場するだけでなくそこに必然や目的がはっきり感じ取れます。
宮崎駿氏というのは喫煙する方なんでしょうか。そうでなければあれほど良い喫煙シーンはなかなか描けませんね。実際どうなのか知りませんが。
頭の良い技術者がうんうん頭脳を酷使している最中に煙草に手を出します。煙草は脳のオアシスですから当然そうなります。アホに煙草は不要です(嘘です。アホにも必要です)
灰皿は山盛り、煙草が切れたら灰皿からまだ吸えそうなのを探してシケモクします。そのとき1、2本の吸い殻が灰皿からこぼれ落ちます。何というリアルで細やかな煙草シーンでしょう。
祖国から持ってきた最後の一本がなくなって哀しい思いをしているドイツ人と煙草を巡る出会い。「日本の煙草をどうですか」と差し出し、友好を深めます。煙草のシェアは敵意のなさの表現、人と人を繋げる潤滑油です。
病気の妻を気遣い煙草を吸いに部屋を出ようとする夫に妻は「ここにいてここで吸ってください」と病床で懇願します。愛の深さを表現する小道具として紫煙が立ちこめます。
働く人、賢い人、頭脳の酷使、友好、博愛、他者への思いやり、それらを描く時に煙草は必須のアイテムとなります。
煙草のシーンが多いと噂だった「風立ちぬ」、観てみたら重要なメッセージ性を伴う意味のある喫煙シーンばかり、大いに感心するよいアニメ映画でした。
「映画についての感想は別で書くとして」などと書いていますがそれを書くことがないまま時が過ぎ、「紫煙映画を探せ」廃止に伴う本ブログとの統合でこの記事を持ってきました。
映画を観た当時、いろいろ感想を持ちましたが結局はこのたばこについての部分にすべて集約されているようにも感じますので、余計な感想は今やもうありません。そして当然、「風立ちぬ」は紫煙映画として最高のアニメ映画であり、良い紫煙映画は漏れなく良い映画です。