明けましておめでとうございます。正月早々正月映画らしい映画はないかいなと思ったら地元で「PK」がリバイバル上映していたので「これは最適」と出かけます。
「きっと、うまくいく」のラージクマール・ヒラニ監督作品で主演も同じくアーミル・カーンです。今回アーミル・カーンは始終変な顔をしまくっていておかしな人感が半端じゃありません。
お話は地球にやってきた宇宙人が神の概念を持っていないため神システムに感銘し「では神はどこにいる」と探すコメディです。それと基本ラブコメですね。
一般的に宗教ネタは御法度とされていますが「PK」は結構鋭いところを突きまくります。危ないギリギリのところでラブコメに持って行くので実際の宗教界から批判はされにくいような作りとなっています。
「きっと、うまくいく」のうねるストーリーと計算され尽くした構成の威力は「PK」ではおとなしいものとなっています。その分、エピソードを盛りだくさんにして判りやすい筋立てに徹しました。個人的には「きっと、うまくいく」の脚本の妙技が好きですが「PK」はまた別の目的があるのでこれはこれでよしとします。一本筋の通った判りやすい構成を好む人もたくさんいるでしょうし。
冒頭いきなりベルギーでのラブコメネタからスタートするので心配しますが、教会での顛末を観て「ははーん。これ、あとからネタに持ってくるんだな」と合点しますから大丈夫です。意外なことにこのネタを最後の最後、クライマックスあたりに持ってきて観客の涙を誘いますが、こんな演出でも驚くなかれ嫌味がまったくないんですよ。
ラージクマール・ヒラニ監督の脚本の技と言いますか、危ないギリギリで嫌味を感じさせない絶妙な言葉選びに感心します。
「きっと、うまくいく」も「PK」も、道徳や愛情などの観念をベーシックに表現するストレートな脚本です。一歩間違えれば臭くて見ていられないお話です。でも臭くなるギリギリで寸止めしたり臭みを感じささないテンポと会話で観る者をピュア世界に浸らせてくれます。これは実に凄い技であると思わないでおれません。
宗教ネタの一個ずつも面白いし道徳的です。こういうネタを見るとどうしても手塚治虫先生の漫画を思い出します。道徳や倫理、宗教観などという怪しげなものを扱うにはピュアでいることが最も重要です。どこぞの国ではベーシックな倫理観がすっかり崩壊しておりますが世界はまだまだ捨てたものじゃなく、救済や共生といった道徳心や倫理観に共感する人が多いのだと「PK」のヒットを見て思うわけですよ。これがなくなったら人間お仕舞いですからね。
さて「PK」の中で私が最もお気に入りのキャラは兄貴です。最初にPKを車ではねてしまう音楽隊のあの兄貴です。「PK」の中でも抜きんでた魅力キャラでした。最初から兄貴の魅力に「おおっ」ってなって身を乗り出しましたですよ。映画の後半で再び登場するときには心の中で「兄貴にまた会える!」とPKと同じ気持ちになりました。そんでもって…。
それから臭くて倒れそうなネタであるにも関わらず観客の嗚咽を誘ったベルギーのパキスタン大使館ですね。これはやってくれましたね。もの凄いアホみたいなシークエンスの筈なのに心の中にお花が咲きまくります。全く不思議な映画の魅力です。
世界の誰もが楽しめる「PK」ですが世界を相手にするとき大国に媚びた脚本を用意するわけではありません。子供向けに子供だましを行わないのと同じ意味で「PK」は明確にインドの映画です。でも世界に通用します。世界に通用するのはローカルの詳細なんですね。大事なところです。
パキスタンとの絡みについて、インドとパキスタンの関係を詳しく知らずとも映画を観れば何となくはわかることでしょう。実際にパキスタンとの確執を詳しく知っている人が見ると、ラスト近くのパキスタン大使館の皆さんの態度に触れて、別の意味で涙が溢れるわけです。
宇宙から見たら人間社会の諍いなど無意味な小さな事です。同時に、ベーシックな道徳心や愛の心からしても、やはり人間社会の諍いなど無意味な小さな事にすぎないわけですね。宗教も同じです。そういう力を根底に「PK」のストーリーは構築されています。
ところで主演のアーミル・カーンはインドで大スターだそうですが「きっと、うまくいく」も「PK」も青年の役ですよね。それで青年とばかり思っていましたが、この方、1965年生まれなんですって。何と若々しい。驚きました。すごいもんです。