さくっと書いてしまう感想文でございますが「トム・アット・ザ・ファーム」は戯曲の映画化で、その劇作家とグザヴィエ・ドランが共同で脚本を仕上げた映画です。
才能と美貌に恵まれた若きグザヴィエ・ドランに嫉妬などありませんが「トム・アット・ザ・ファーム」がオリジナル脚本でないと知って少しほっとしているあきれた自分を発見してちょっと自己嫌悪に陥ったりもします。
この映画はとてもいいですよ。元のお芝居もよさそうですしね。サイドメニューにいろいろ参考URL置いときましたんで興味ある方はお読みください。
田舎
いろんなものを内包しています。ゲイに対する差別的な問題はその筆頭に上げられますが、それを含めたそれ以外の攻撃性も大いに含まれます。つまりあまり大きな声で言えない田舎者に関するあれこれです。「田舎差別はこの物語に含めていない」といい切る原作者ですが、映画から滲み出ます。これはラース・フォン・トリアーが過去描いてきたことに通じます。
ただし「トム・アット・ザ・ファーム」ではそれについてはほのめかす程度の表現にとどまります。本気で田舎者批判ということを行いません。
それはひとつには無神経な田舎者批判は無神経なマイノリティ批判と直結するからです。注意深く避けています。
ドメスティック独裁
この映画の持つ怖さです。この怖さは映画内では特に発露しません。いや、ある程度発露しますが、ホラー映画ではないのでね、でも地味めにそれはあります。それとは何かというと、家庭内における恐怖政治、独裁の世界です。
外から隔離されている家庭という最小単位の国家において独裁というのは外から見えにくく時々現実世界でもとんでもない大事件とともに発覚したりします。
誰か独裁者が恐怖で家族全員を従わせ常軌を逸した世界を構築している実態がベースにあります。家族にかぎらず外から来た謎の人間が何故か共同生活して独裁に加担しているという謎な状況もあります。
そのような実際の事件が過去いろいろありました。北九州の事件もそうでした。最近も似たようなのがありましたね。そういう事件を元にした映画も過去作られています。真っ先に「スノータウン」なんて強烈なのを思い出しますね。
恋人の実家にいる兄がまさしく独裁者のタイプです。ただし母親に逆らえなかったりしますし、犯罪系の同系列の話とは一線で異なるんですが、香りはします。さらりと香りだけです。強調もしませんしそればっか描くということもありません。
ゲイ
繊細です。繊細に強烈に描きます。基本、やっぱりこれを中心に話が進みます。
グザヴィエ・ドランは若いのに天才ですが、どうしてもこのことから逃れられないのか、それが彼に与えられた使命なのか、それはそれでいいという気もしますし、他のテーマの映画で天才性を発揮してほしいという気もしますし、どっちでもいいんですが。
私のお友達でも自身のことを考え抜くタイプの人がいました。彼は道化を演じることができず、道化を演じない限り生きにくい社会への対抗手段として理論武装することに力を注いでいました。若い頃の友達なので「いつもいつもその話か。もっと普通に他の話もしようよ」などと思ったこともありましたが、そんなことはできっこないんですね。その状況を理解しているようで全く理解していなかった当時を思い出します。
グザヴィエ・ドランはまだ武装が必要なわけです。それは理論武装でもないし哲学でもない、つまりそれは映画です。だからどうしても最後には自分自分自分となります。また男前なので絵になりますから、どうしても最後にはかっこいい自分アップかっこいい自分アップかっこいい自分アップとなります。
せっかく他のメッセージ性や他のテーマをほのめかしながら、結局そういう部分ばかり目立ってしまうのはしかしこれは欠点ではありませんね。それも含めた表現ですので「せっかく農場の映画なのだからもうちょっとリアルな農場労働のシーンがあればよりいいのにな」とか思っても仕方がないことなんですね。
スリラー
「トム・アット・ザ・ファーム」にはスリラー的な面白さがあって、そういうのがジリジリ系の青春映画の部分と重なって効果を上げていると思います。ドキドキサスペンスのシーンは捨てがたい魅力です。
というわけで唐突に「トム・アット・ザ・ファーム」の感想でした。母親役がとてもいいことや、女友達の感じの良さについて、前半のヒリヒリするような進行の素晴らしさについてはここでこうやって羅列してそれで済ませておきます。
ほんとはこの感想書いて、続けて「mommy」と「エレファント・ソング」をまとめて書いておこうとしていましたが年末なのでくじけました。