観たいなと思ってて気づいたら30年以上経っていたってこと、よくありますよね。ありませんか。たまにあります。
「カッコーの巣の上で」の監督が作ったモーツアルトの映画と聞いて、わくわくしていました。でも見損ねた。いずれ観ようと暢気にしていたら気づかぬうちに30年以上経ってしまいました。そしてようやく観ました。やったー。やったー。
でもどうやら「ディレクターズカット版」ですね。2001年かそこいらに一旦作り直したようです。エンドクレジットに2001年の記述がありました。公開していたやつとどう違うのか知りません。
子供の頃、怪奇やミステリーの謎の本が好きで、その中に確かモーツアルトの謎とかそんなのがありました。不可解な死に方と、最後に作曲した曲と死に関する恐怖を煽る一文でした。それ読んで以来、モーツアルトは怖いということを植え付けられ、モーツアルトどころかクラシック音楽を聴くと怖くなるという条件反射にまで育ちました。これは大人になっても治らず、もしかしたら今でも後遺症が多少残っているかもしれません。クラシックの名曲を聴くとたまらなく胸騒ぎがしてくるのは根っこに恐怖があるからではないのかと思っています。
この映画について今更あれこれ言うつもりはありませんが、やっぱり面白かったですよ。裏声の笑い声が無理矢理すぎるとか、わずかに気になるところもありますがそんなことどうでもいいくらいに面白いしのめり込む映画でした。世界で見続けられているのも納得です。
少し尺の長い映画ですがそれは劇中で音楽やオペラが流れるからです。音楽家の映画ですから当たり前ですね。劇中の音楽が少なすぎたら欲求不満になりますから、削りに削って再編曲してギリギリちょうど良い尺に収めたこの時間感覚は快挙と言えましょう。だから決して長い映画というわけでもないんですよね。むしろ短い。もっと見せろ。と、このように思いました。
主人公が甘いもの好きなのか、ちょくちょくおやつをつまむシーンが挟み込まれ、これがいいポイントになります。おやつのシーンはどれもこれも完璧でした。
クライマックスは大袈裟なドラマではなく作曲シーンとなりますね。主人公がモーツアルトの曲作りを知るこの部分はとんでもなくいいシークエンスでした。「なぜその音がここに?」とか不審があって、続きを知ると「そーかっ」と新発見の喜びも感じます。主人公の劣等感と歓喜が混濁した名シーンに胸騒ぎが収まりません。
歴史との繋がりを感じさせるちょっとした言葉にも始終ドキッとさせられっぱなしです。後半、大衆オペラも出てくるし、退廃的な享楽的な時代の表現もあります。享楽的であると同時に、この映画で描かれない享楽を享受できない人々の鬱憤というものすら感じます。この時代、直後にフランスではえらいことになりますね。ドキドキします。
主人公を演じたF・マーレイ・エイブラハムの凄さに圧倒されます。これほど複雑な役を完璧以上にやり遂げましたね。すごいですね。ほんとすごいですね。
あとはそうですね、陛下ですね。陛下キャラの良さ、これもたまらないです。陛下すっごく良かったす。かなり良かったです。
あとはモーツアルトの嫁さんですね、この人も妙に浮いていて最高。おやつシーンも最高です。
そんなわけでアホみたいな感想文となりますが今更のアマデウス、こんなの書く気なかったんですが書いてしまってすいません。でも教訓があります。
観たいなと思っているうちに30年経つぐらいですから、何かしておこうかな、誰かにお礼を言っておこうかな、あれやっとかないとな、これやっとかないとな、と漠然と思っているあなたは気づけば年取って死にます。後悔することになる前にそれを実行しておくことを、それができなかった哀れな人間から助言しておきます。