こちら2ページ目です。重大なネタバレゆえ、未見の方は1ページ目だけでお済ませください。観てない人は見ては駄目。
ストーリーの秘密
さてストーリーに関する感想です。未見の人はマジ読まないでください。お願いします。
息子を正しく埋葬しようとサウルはラビを探したりします。「ラビ?」「ラビ?」と聞き回るサウルです。不可能でしょうと思われる驚異的な状況下で奔走します。ユダヤ教を知らぬ我々は「正式でなくても埋葬してやればいいのに」と少しばかり思うかもしれません。でもそれでは駄目なんですね。どうしてですか。なぜそれほど正式な埋葬にこだわりますか。そして、その小さな疑問が後半とてつもないものを呼び出します。ラビでありさえすれば偽物でもいい、息子の埋葬さえできれば今生きている人が犠牲になっても気にとめない、そうしたサウルの心境への疑問が少しずつ膨らみます。そしてやがて戦慄することになります。「正しく埋葬さえできればこの子供が息子であろうとなかろうと関係ない」というところまで行きます。正確には、正しく埋葬しようとする子供の遺体が息子であるというところまで行きます。いえ、最初から行っています。ということですがなんですと。
まさに戦慄。
途中、レジスタンスに関わる出来事や仲間たちが描かれますね。ストーリー的に大事な展開に関わる部分です。このあたり、映画では詳しく描きません。女性と会って秘密の大事なものを受け取りますね。あの女性、誰?ですよね。ですです。このストーリー、強烈です。考えてみれば、ゾンダーコマンドではあるけれどサウルは立ち回りも上手くて、また、レジスタンス系の仲間から信頼されていることも分かります。というか、もしや、もしかして、サウルはレジスタンスの中心近くにいる有能な人物?なななんということでしょう。と、そのように持って行かれます。
まさに戦慄。
ドキュメンタリータッチのはたらくおじさん〜ユダヤ人虐殺編の影に隠れている裏ストーリーこそレジスタンスの謀略ストーリー。サウルはその中でも重要な任務を負っている凄腕の人物のようです。そんなこと映画の始まりからまったく描かれません。なのにそうなのです。でもそうではなく息子の埋葬にこだわる人になっています。彼の心の中はどうなっていたんですか。
鳥肌が立ち、目眩がするほどの戦慄。
映画の最後には森の少年が突然登場します。山小屋の扉の前に立つ少年は妖精のようですね。その少年を見て微笑むサウルです。少年はなぜか濡れています。川に流されたんですか。少年はどこのだれですか。縞模様のパジャマを着たお友達に会いに来たんですか。埋葬の必要がないとサウルに伝えましたか。わかりません。戦慄しつつ、どういうわけか嗚咽が漏れるのではないかと思うほどの動揺を我々観客にもたらします。
正解とかどうでもいいです
ひとつ大事なことは「実はこうであった!」とか言いたいわけではないんです。そういう映画ではないと思います。どう捉えてもいいように撮っています。
監督が言うように、この映画は極限状態に追い込まれた人間が人間的な感情を失わずにいられるかどうかというテーマに挑んでいるのであり、実は狂ってましたとか、いやそうではないとか、そういうのはどうでもいいんです。確かなことはただひとつ、サウルは極限状態で人間的な感情を失わずにいたということではないですか。何であれ、彼は人間の感情をずっと持っていました。
映画が終わりエンドクレジットで流れる水の音は、鎮火でもあり涙でもあり、観る人が好きなように感じたらいいと監督は言います。
「サウルの息子」でした。
師匠のタル・ベーラは「映画は終わった」と引退しました。しかしネメシュ・ラースローはとんでもない映画を作りました。
驚異の怪作、必見のぶちのめし系映画で、一人残らずこの映画を観ればいいのにと思わずにおれません。