ゼロの未来

The Zero Theorem
長く公開を待ち望んでいたテリー・ギリアム「The Zero Theorem」が突然「ゼロの未来」という邦題で公開されることになりまして焦りました。
ゼロの未来

テリー・ギリアム新作の話題が一連のモンティ・パイソン復活イベント絡みの最中(2012年頃)に出てきて、わーわー言って盛り上がり楽しみにしていましたが日本で公開される噂もなく、タイミングを逃した感じで半ば諦めかけていました。でも数年後2015年初夏、個人的に多忙で出稼ぎの旅の最中に突然「ゼロの未来」という邦題で公開されまして、到底観るの無理って出稼ぎの旅先で「なんでこの時期なんだよぅ。公開前に一言相談してよぅ」とわけのわからないことを言って泣いていました。
で、旅が終わってまだ上映しているところはないかと探しまくっておりましたら、愛知県刈谷市の刈谷日劇でやるっていうんで、ここなら200kmも離れてないから行けるぜ、と、とりあえず全てをほっぽり出して車を飛ばしなんとか劇場で観ることができましてめでたしめでたし。
この時はじめて刈谷日劇に行きましたが、まあ何といういい映画館なのでしょう。映画のチョイスといいロケーションといい経営してる方の感じといいサロン的雰囲気といい喫煙環境といい、ここ素晴らしいですね。また行きます。

また個人的なくだらないことを枕にしまして申し訳ありません。
「ゼロの未来」ですが、作風や世界感からテリー・ギリアムの企画でオリジナル作品かと思っていたらそうではなく、パット・ルーシンという人の脚本を元にあれこれ作り上げていった作品だそうです。まずパット・ルーシンの短編小説があり、これを脚本化したらどうだい?という話に乗って脚本化、それを気に入ったプロデューサーのディーン・ザナックが長年かけて詰めていき、やがてテリー・ギリアムの手に渡り時間が出来た2012年に動き出したと、こういう経緯だったそうです(公式サイトに書いてあった)
ただ作品見ての通り、多分テリー・ギリアムがそこからかなり手を加えているのは明白で、経緯がどうだからどうとか、そういうのはまああまり関係ないではありますね。

そんなこんなでイマジネーション溢れるテリー・ギリアム風味の「ゼロの未来」です。話自体にしても各デザインにしても、テリー・ギリアムらしい面白さと美しさに満ちておりまして、同時にちょっとシンプルで特に斬新なところがあるというわけでもないという、でもちょっとヒューマニズム的にいい感じのところもあり、一部ファンにはぐっとくる部分もあるという、まとめるとそういう作品です。

教会を改造した自宅ロケーション、美しく重層で軽々しさや異形のものとのコントラストもいいしテリー・ギリアムらしい良い舞台です。派手派手しい街並みやゲームセンターのような職場も猥雑でごちゃごちゃしていて落ち着かずへんてこりんでいい感じです。

主演のクリストフ・ヴァルツは「イングロリアス・バスターズ」や「おとなのけんか」でもわかるとおり実に複雑な演技をこなす怪優、よくぞこの映画の役を引き受けてくださいましたというしかありません。ただし「ゼロの未来」はクリストフ・ヴァルツの強烈演技を堪能し尽くせるタイプの映画ではありません。彼は映画の価値を引き上げましたが、映画が彼の魅力を引き上げたとは思いません。それは作品が虚構世界の構築を第一義におくような、つまり世界感そのものが主人公であるファンタジーであって、人物の掘り下げを主軸とするリアリズム人間ドラマではないからですね。

とはいえ主人公の苦悩や孤独、喜びや絶望といった感情的な動きが「ゼロの未来」ではストーリーの中心にあります。薄っぺらな演技ではだめなわけで、そういうところでも実力ある名優が敢えてこれに挑んだってのがバランス的にはちょうどよい感じだったと思っています。

他の人物、ヒロインや少年や上司やモニター越しの分析医など、おもしろい人物も登場します。モニター越しのティルダ・スウィントンなんかどうですかこれ、相変わらず変な役を嬉々としてやっておられまして、ティルダ・スウィントンはいつ見てもすごいひとですね。

上司ジョビー(デヴィッド・シューリス)の演技を見て往年のファンならこの動きや話し方や立ち位置をマイケル・ペリンと同一視すると思います。失礼なことながら観てる間中マイケル・ペリンを思い出しそれだけで目頭が熱くなりました。

テリー・ギリアム作品については私、幼少期よりファンで影響も受けており血肉になっておりましてなかなか冷静な目で見ることができません。「ゼロの未来」を「ファンなら楽しめるだろうけど普通だよね」と評価する人はきっといるだろうと思います。ある意味それは正しい感想かもしれません。ミザリー的ファンにはわからないことです。

さて昔、テリー・ギリアムが「ブラジル」を撮ったときの話です。そのニュースソースが何だったか忘れたし詳細もまったく覚えてないので正確な話かどうかわかりませんが、とにかく「ブラジル」に関して監督がこう語ったという。
「最初の構想は、男が夕日の海辺に腰掛け、鼻歌で『ブラジル』を歌うラストシーンのイメージからだった」

「ブラジル」制作の発端、海辺の男の鼻歌だったんですって。全ての絶望の果て、壊れた精神の果て、美しい景色の中でうつろな男が鼻歌を歌うそのラストシーンは、実際の「ブラジル」ではもっとすごいラストシーンになりましたが、ここにきて「ゼロの未来」でその構想を実現するに至ったと思うと、またもやファン的には涙が溢れます。
「ゼロの未来」の嘘くさい夕日の浜辺で遠くを見る主人公を見て、あまり普遍的ではなさそうなそういった感慨に浸りました。絶望と崩壊を経て、でも何かしら平穏も手に入れた感じの虚無の男です。素晴らしい映像で締めました。「ゼロの未来」は「ブラジル」の別物語でもあり、テリー・ギリアムの年輪でもあります。

テリー・ギリアム監督は溢れるイマジネーションとファンタジーの人ですが、ときどき現れるヒューマニズムの表現を見逃すことはできません。

あ、もうDVD発売されたんすね。久々の更新がタイムリーだったようでなにより。劇場で見逃した人はぜひどうぞ。

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