アメリカンなかわいい風景画のオープニングです。なつかし系のイラストでレイヤーを使った立体的アニメ、そして暗転から丸窓のこれまた懐かしい系のトラジッションから映画が始まります。素敵なワンピースを着たジェニファー・コネリーが抱きかかえられパトカーの後部座席へ。隣に座っている温厚そうな黒人と話します。ん?パトカー?何でしょう、何事でしょう。何が起きたんでしょう。ということで、何が起きたか振り返る、これが「バージニア その街の秘密」のはじまりはじまり〜です。
小さな海辺の街で息子と二人暮らしのシングルマザー(ジェニファー・コネリー)を取り巻く辛く儚い物語でして、全編にみなぎる貧乏くささと落ち着きのなさが格別です。不幸の物語でありアメリカン負のドリーム、幸せ一杯ホームドラマを皮肉ったアンチホームドラマって感じもします。
ジェニファーの役どころは、シングルマザーで貧乏で節操がなく州知事を目指す保安官(エド・ハリス)と不倫していて、そしてさらに、心と体の病気を抱えています。数々の奇行が、シナリオ的にもそうですが実際のジェニファーが無理しているようにも見えて辛さ満開、不憫で仕方ありません。
息子はとてもいい息子です。息子目線でも物語が綴られます。彼は全うに青春しています。恋もするしバイトにも勤しみます。しかし彼は苦悩も抱えていて、まあなんせこの母と息子には余裕というものがなく、いっぱいいっぱいのギリギリでかろうじて生きています。彼らの追い詰められ感の多くが貧困と、それから田舎の閉塞感の中で出口が見つからないことに起因します。というかそう思い込んでいる節もあります。
州知事を目指す保安官をめぐり、だんだんと不穏な空気が満ちてきて、バージニアの奇妙な策略も無邪気な悪意も、息子の一本気さも、なんだか良からぬ方向に向かっていきます。そしてそれが膨らみはじめ、コミカルでも笑えない状況へと落ちていきます。
やがてすべてが破滅へ向かってまっしぐら、街を充満する不穏は不幸という名のマゾヒズムによって映画的なる落としどころを迎えます。
エンディングは悲劇とも痛快とも取れるなかなか良いものとなっておりますよ。
さて都市型の貧困はアメリカでずっと以前から問題でした。今ではすっかり日本も泥沼に落ちてしまい同じ問題がアメリカ以上の深刻さで蔓延しています。日本の代表者は都市型貧困を「世界の絶望的貧困より遙かにましだから贅沢言うな」とジェニファーも真っ青の統合失調症ぶりを発揮していますが、現在世界中の都市では資本主義の終焉を飾る都市型貧困がじわりじわりと広がり人類生存を脅かしています。このまま行けばあなたも私も皆ジェニファーですね。
オープニングの、幸せに満ちたアメリカンホームドラマ的ふわふわ景色のイラストが皮肉たっぷりに思い出されます。
閉塞感に満ちた辛い物語の中で息子のアルバイト先関連や保安官の家族など、多少ほっこりするエピソードも交えてありまして、トビー・ジョーンズなど味わい深い脇役もおります。コミカルなところも多いし、それほど酷い物語でもないのですが、でもどういうわけか息苦しくて仕方ありません。
この映画、いい映画だしテーマもいいしまったく文句ないのですが、どうにも私はあまり好きになれません。もちろん嫌いじゃありませんよ。なんでしょう、この中途半端な感想は。家の立て付けや調度品、行楽地や道路、舞台となる世界全体を包む鬱陶しさというものにやられたんでしょうか。
「たばこを吸って肺癌」という糞くだらないわずかなディティールが気にくわないからでしょうか。
ラストシーンの黒人看護師との語らいはすばらしく胸に響いたんですが、こうして見終わってずいぶん経ってから感想書いてますと、さほど好きになれない不思議感にも包まれております。
監督・脚本は「ミルク」の製作と脚本をやったダスティン・ランス・ブラックです。「ミルク」はすごく興味あるんですがどうも何か一つ観に行く動機に欠けてまして、結局未見なんです。時として直感はすごく的確に当たりますから、あまり合わないのかもしれないなあなんて思ってますが観ていないのでもちろんわかりません。
ところで私はこの映画を辛く閉塞感に満ちた物語と認識していましたが、予告編の編集ってのは作品を如何様にも見せることが出来るという証明として、US版トレイラーを眺めてみましょう。なんだか楽しそうな映画に思える予告編編集です。
そして日本語版の予告編が以下。怖そうでサスペンスフルですね。予告編の編集いっぱつでこのくらい印象変わります。
私の意見ですが、二つの予告編、どちらも本編の感じとは全っ然ちがいます(笑)