登場するのはバイオリンを持った少年です。なんとタルコフスキーの処女作はちびっ子映画でした。
映画学校の卒業制作として制作され、ニューヨーク国際学生映画コンクールで一位になったとのこと。
いや、学生映画コンクールなんてレベルの映画じゃないですよ。一位すごい、とかそういうんじゃありません。完全に超えてます。
冒頭いきなり凄い映像が出てきて腰抜かします。アパートの階段と踊り場に子供たちがわらわらと出てくるシーンなんですが、これがまあ見事というか鬼気迫るというか、桁が違うというか、舐めて見はじめていたものだから「えっ」ってなりました。
そうなんす。ちょっと舐めてました。学生の卒業制作で50分に満たない中編で事実上の処女作、と聞いていたもんだから、「ふーん。どんなんだろう」と、資料的興味で観てみただけだったんです。
文学でも音楽でも何でもそうですが、若いころには青臭いながらも実験的でぶっ飛んだ先鋭的な作品を作ったりする人が多いイメージを持ってます。タルコフスキーだったら尚更、さぞかし尖った作品なんだろうなあと勝手に薄ぼんやり考えてました。
ところがどっこいの助。
冒頭の凄い映像の直後にはちびっ子ドラマが始まって、これがまあ普通に面白いのなんの。きっちりした展開のお話があって、登場人物たちの魅力があって、娯楽性もふんだんに含まれていて、でもやっぱりタルコフスキーっぽい時間感覚や映像の美しさもあって、鑑賞後の余韻もあり、つまり映画の魅力のすべてが含まれた名作映画です。いやまじで。いやほんと。
「ローラーとバイオリン」というタイトルの「ローラー」を、ローラという名の女性であると勝手に思い込んでいて、映画が始まってもしばらくは冒頭の子供たちの中の誰かがローラかな、バイオリン教室にいる女の子がローラかな、と間抜けにも考えてました。
そうじゃなく、ローラーはローラーでした。アスファルトを敷く工事で圧縮をかけるあの重機ローラーです。わはは。私あほですから、重機ローラーが画面に出ていても、まだローラーという女性が出てくるものとばかり思ってましたよ。
てなわけで、バイオリンを習っているいいとこのぼんぼん少年と、重機ローラーを運転する労働者青年のふれあい物語です。
労働者と言っても資本主義社会の搾取されまくる奴隷労働者ではもちろんありません。気高く尊い額に汗する労働者です。知的で博愛に満ちた青年です。
資本主義社会でも社会主義社会でも、昔でも今でも、ぼんぼんの格好をしてバイオリンを習っているような子は、わりと囃し立てられ苛められます。本人もぼんぼんの格好をカッコ悪いと認識します。ぼんぼんの格好を脱ぎ捨て、荒くれ者の仲間になるほうがカッコいいと考えます。そういうのって不思議に普遍的なんですよね。
そんな少年と知的労働者青年がふれあいます。いい話です。最後にはいろんな意味でぐっときます。余韻が残ります。素晴らしい映画です。
短い映画の中によいポイントが目白押しです。
まず全体にストーリーのあるドラマとして、普通の映画としての面白さが抜群です。
よい映画にはよいディテールがあります。バイオリン教室での出来事、ローラーに魅せられる少年、牛乳のシーン、いじめっ子がバイオリンに手を出そうとして躊躇する知性と文化の勝利シーン、ちょっとした会話、労働者女性の態度、母親のシーンと、まあ細かい部分があちらこちら光ってます。
映像派タルコフスキーの原型がすべて詰まっているかのような映像美も堪能できます。冒頭の踊り場、鏡に水、重機ローラーの動き、反響する場所でのバイオリン演奏、ラストシーン、すばらしいですよ。
タルコフスキーの映画にはのめり込みましたが、その生い立ちとか全然知りませんでした。
今回、28歳で卒業制作ということが引っかかってちょっと読んでみたら、あらまあ、タルコフスキーって人は波瀾万丈の生い立ちで、あれもこれもと中途半端に手を出しては引っ込め、青年期には西側文化に影響受けまくった不良のにーちゃんだったんですね。もっと高尚な育ちかと思ってたんですが意外でした。完全にこっちがわです。我らと同じ種類の人です(また殴られそうなことをしゃーしゃーと書いておりますが)
この「ローラーとバイオリン」は意外にも何度もDVD化され、時にはレンタル屋にまであったりして、敷居低くどなたも気軽にご覧になることが出来ます。
映画が映画であった60年代映画としても堪能できます。ちびっ子と労働者のぐっと来るお話、ご家族揃ってぜひどうぞ。