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SOFT FOR DIGGING
孤独な老人が目撃する一つの事件。現実か、まぼろしか、老人呆けか、ホラーな技法で描いた老人文学映画の逸品。
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映画の出来映えには若干の稚拙さもありますが、そのテーマは興味深く、逸品です。
ひとり暮らしの老人が遭遇する日常と殺人事件。そして展開。
ホラー映画の括りでいいのかとも思える映画ですが、ホラーっていうジャンルは他のジャンルに比べて許容量が大きく、荒削りなものや若々しい実験作にも寛容ですから、これでもいいのかなと。

老人はほとんど言葉を発しません。その分、頭の中では言葉による思考が渦巻いていることを感じさせます。
この老人の頭の中を覗けば、筒井康隆の小説「敵」と似たような老人の饒舌な独白が見えることでしょう。

「敵」をテクストとしてこの映画を観た場合、この映画の見方が変わります。それが正解かどうかはわかりませんけれども。自分にはそう見えました。

規則正しい生活をする老人、出かけるときにはガウンを羽織り、日々の日課に忠実です。この丁寧さが老人のいいところ。ちょっと遠出するときのお洒落加減も素敵です。しかしガウンには綻びがあります。習慣的にしゃきっとお洒落をするんですがすでにボロボロ。ここが老人の長期に渡る繰り返しの人生と悲哀、そしてちょっと明晰でなくなっている頭の中を表現します。

家中の雑貨や窓回りの飾り、ベッドから洋服、すべてのものが長い間ただそこに在り続けており、老人の内的世界と外的世界の差違はすでにありません。

彼の頭の中では今すべきこと、今起こっている事象、過去にあったこと、過去との対話、夕べ観た夢、老人ホームのパンフレットの写真、白日夢、いろいろなものが渦巻いていて、そこで交わされる回想や饒舌、見えるもの全てが内面の精神活動なのか実在の存在なのか区別がつきにくい状態です。更に言えば、脳内の空想であろうと現実であろうと、老人にとってはその違いに大きな意味はないのです。

無言であることも関係して、頭の中で起きている現象や饒舌は次第に現実と混ざり合っていきます。

目撃した殺人事件の真相は悪魔的で恐怖に満ちたものです。しかしその真相の舞台はたった一枚の小さな写真から喚起された夢の一部にすぎないかもしれません。あるいは目撃したと思い込んでいる事件自体が夢です。少女の姿は確かに見たのかもしれませんがそれをいつ見たのか実のところ定かではありません。昔かもしれないし夢かもしれません。猫を探しに森に入ったのは現実でしょうか、思い出でしょうか、それはだれにも分からないし、老人本人にも当然わかりませんし、わかったところでそこに大きな意味はありません。彼が体験したことが内的世界の出来事であれどうであれ、体験したことに違いはないのだから。

非常に文学性の高い映画です。

エンドクレジットで少しだけ鳴るピアノ曲が綺麗。この作品はちょっとした奇跡の一品かもしれませんよ。

2009.12.30

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