「ある愛の風景」では兄弟とアフガニスタン、「アフター・ウェディング」では恋人とインド、そしてアカデミー賞外国語映画賞を受賞した本作「未来を生きる君たちへ」では家族とケニアにてヒューマニティドラマを展開します。
スサンネ・ビアが描く途上国の外国はいつもいつも観念的で、リアリズムのホームドラマ部分との対比が面白いです。ものすごく悪く言うと「イメージとしての第三国」って感じで、先進国民が軽く空想する観念的途上国です。でもあまり悪く言いたくないです。いいじゃないですか観念的でも。寓話と思えば。
ホームドラマにも世界情勢がつきまとうその視野の広さが特徴ですよね(笑)いや笑っては失礼です。すいません。
「未来を生きる君たちへ」っていう変な邦題で、これのせいで上映中にスサンネ・ビア作品だと気づかずにいました。「イン・ア・ベター・ワールド」っていう米タイトルが先行してましたんで、「イン・ア・ベター・ワールド」はいつ日本に来るかなあなんて思ってるうちにとっくに上映が終了していました。
しかしこの「イン・ア・ベター・ワールド」も妙なタイトルでして、妙なタイトルをつけるのは日本だけの特徴ではないことがわかります。
原題は「Hævnen」英語タイトルは「the revenge」そうです復讐です。
今回のテーマは復讐。デンマークとケニアでの復讐の物語が描かれます。暴力による復讐の連鎖についての、まるで手塚治虫が描くような物語が展開します。
登場するのは二組の家族、ふたりの少年です。まずクリスチャンという子は母親を亡くし勝ち組エリートの父と暮らしています。もうひとりのエリアスはお医者の両親と弟のいるこれまた裕福な家族の子。でもエリアスはいじめられっ子です。学校でのいじめ事件ににクリスチャンが関わり、最初の復讐物語が発生します。クリスチャンは賢そうなおとなしそうな子かと思いきや、けっこう強くたくましい男の子です。やられたらやり返します。復讐どんとこいです。
エアリスのお父ちゃんはケニアでお医者をしており、復讐の連鎖を否定しているリベラリストです。このお父ちゃんが暴力に対して無抵抗を貫くことで、復讐を目論むクリスチャンとの差異が強調され、巻き込まれるエリアスを中心に本作の復讐物語が因果応報物語へと進行してしまうことになります。
全体的に非常にベタな復讐と因果応報の物語でして、教育的ですらあります。ですが二人の少年も魅力的だし、お医者の父ちゃんも僧のようないい人で、演出も上手だしドラマとしての臭さはあまり感じさせません。ベタでも見せます。
スサンネ・ビアの作品はストーリー展開がベタで、観念的な外国の様子が入っていて、でもホームドラマの部分がきっちり描かれておりまして嫌みがありません。そういう特徴があります。私は好きです。
さて思想的にベタで特に深い考察や目新しい視点はありませんがひとつだけとても気に入ったシーンがあります。
お医者の僧のようなエリアスの父ちゃんがある日乱暴者に絡まれて子供たちの目の前で暴力をふるわれます。しかし父ちゃんは無抵抗を決め込み、乱暴者を相手にしません。後日、クリスチャンが乱暴者の素性を突き止め「エリアスのパパ、やり返そうよ」とみんなして乗り込みます。
父ちゃんは教育的見地から子供たちを連れ乱暴者のところへ押しかけ、会話を試みようとしますがまたもや殴られてしまいます。で、やっぱり無抵抗で去りまして、その後子供たちに説明します。「見ての通り、あの乱暴者は会話も成り立たないアホだろ?こちらが復讐して暴力をふるったら、同じアホの世界に落ちていくことになるから相手にしないんだよ」エリアスは納得しますがクリスチャンが言い放ちます。「しかし奴には自分がアホという自覚がないよ」
自覚させるためには復讐するのがよいのである、とクリスチャンが父ちゃんのために復讐を目論むわけですが、この「自覚がない」部分はわりと核心を突いていると思います。
アホは放っておくに限るのというのは正論ですが、それではアホが増長します。思い知らさなければならないというのも一理あります。
この問題の答えはなかなか難しいですね。
Twitterなどをたらたら見ていると「喫煙者は死ね」とか、そういう言葉をたまに見かけます。嫌煙気違いのつぶやきですが、この気違いに対して「おまえこそ死ね」と反論するのは確かに同じ劣等土俵に降り立つことになり馬鹿らしくて出来ません。しかし「アホは放っておくに限るな」と、嫌煙気違いを放置してきた結果、声のでかいこうした連中が増幅し増長し、社会の実態にまで影響を及ぼすようになってしまいました。
無抵抗主義にはプライドの高さが必須となります。乱暴者に対して「あいつはアホだから」つまり「自分より劣っている。自分のほうが優れている」と暗黙の納得をしない限り平静が保てないのも一面で事実であります。この考えが知らず知らずのうちに差別的振る舞いの元になったりして、それでますます頭の悪い乱暴者の怒りを買ってしまったりすることもあるのです。難しい問題です。プライドの高さを必須項目にすることなく、頭の悪い奴を哀れみを持って見ることができるほどの悟りを開いて初めて無抵抗主義が成り立つのかもしれません。これは容易じゃありませんよ。
そんなこんなで、この映画ではそういった問題を先のセリフ以上に突き詰めることはせず、復讐の連鎖が持つ無意味さを因果応報の手段で描きまして、ドラマとして複雑すぎないちょうどいい具合で最後は締めます。
この映画の魅力の大きな要素はエリアス君です。この子いいですね。独特です。そしてあんまり登場しないけどこの子の弟がこれまた無邪気ないい感じです。弟ってなんでこんなに面白いんでしょう。
トリアーの「イディオッツ」のカレン役、ボディル・ヨルゲンセンがちょい役で登場します。あっ、あの人だっ、と思わずのけぞりました。いやのけぞらなくてもいいんですが。
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