噂の映画「アリス・クリードの失踪」は、二人の男が富豪の娘を誘拐する話です。
登場人物は3人のみ。舞台の多くが監禁場所。彼らの会話と駆け引きがストーリーの中心です。
非常にシンプルな設定の中で繰り広げられるこの犯罪の物語は、駆け引きと嘘と緊張で出来ています。
犯人二人組はどういうやつらなのか。被害者はどういう女なのか。犯罪計画はどういうものなのか。動機は何か。そして僅かな失態から大きな展開を迎えます。二転三転、あれよあれよ。一瞬も目が離せません。
見事な脚本です。
ストーリーの流れだけを見ると、フレデリック・ブラウンや星新一のショートショートみたいなスマートさがあります。細部まで練り上げたプロット、意外な展開、緩急バランス、膝を打つスマートなエンディング、よく出来ています。
脚本的に感心した点がいくつかあります。
まず、大胆な省略です。本筋ではない部分を思い切ってスカッと省略してます。例えば誘拐する課程や身代金の受け渡しなどです。本筋だけを強調するために、あえて枝葉としてこういう部分をそぎ落とすんですね。これ、中途半端にやると「つっこみどころ野郎」がつっこむネタを与えかねませんし、かと言って丁寧に描こうとすればそっちがメインになってしまうほどののめり込みが必要です。本作の中心テーマを描き尽くすために、あえて省略したのは快挙だと思います。
もう一つ、スリラーにありがちな、エンディングにどんでん返しを持ってくる構成から完全に脱却している点もいいです。事件が起きて展開してああなってこうなって、そしてオチでどどーん!とやるのが定石とすれば、この定石をあっさり覆すという技を見せるんですね。映画の前半や中盤で、オチのどんでん返しに似た荒技を惜しげもなく出してきます。観客はエンディングに至るまで待つ必要もなく、何箇所かのあっと驚く展開の場所で、まるでラストのどんでん返しを見せられたかの如く「ええーっ」とのけぞります。そしてそのあとは、それまでの謎を秘めたストーリーからドキドキハラハラサスペンスへと変貌を遂げます。まさに二転三転、展開に次ぐ展開です。少ない登場人物と少ないロケーションの中で、そのストーリー運びは大忙しです。
そしてここで邦題を褒めます。「The Disappearance of Alice Creed」に対して「アリス・クリードの失踪」という原題そのままでなおかつ日本語としてもうつくしい大変よい邦題をつけてくれました。これにまずは最大限の賛辞を送りたいと思います。
このタイトルが如何に大事であるか、それは見終わった人ならガッテンしまくりでしょう。
J・ブレイクソンはこの脚本を大事に暖め育て上げ、自ら監督することを目指していたそうです。
自ら監督することを目論んでいたのは大正解でして、この方才能ありますね。
この素敵な脚本をどのように演出したかというと、これがまあ練り込まれた脚本と同じように練り込まれた演出で驚くべき相乗効果を上げています。
脚本だけ見るとスマートなショートショートのような小気味よい作風なのに、スピード感や緊張感やちょっぴりのリアリズム、そして何より大事な登場人物に命を吹き込むことに成功した演出によって、単にストーリーを追うだけではない映画的な興奮を加味しました。
なんてったって凄いのは冒頭です。掴み部分ですね。いい映画はいい冒頭です。「アリス・クリードの失踪」の冒頭は素晴らしいです。
二人の男が、無言でリフォームする様子を淡々としかしスピーディに映し出します。もう開始数秒以内に前のめりで没入です。
この様子を見ながら「この二人はどういう奴ら?」「プロフェッショナル・・・」「完全主義者」「クールな天才犯罪者」と様々な妄想が膨らみます。
脚本について「何箇所もどんでん返しがあるような展開」と書きましたがこの冒頭とそれに対する裏切り加減も「小さなどんでん返し」みたいな感じです。
登場人物は三人だけです。主犯格の男を演じるエディ・マーサンの起用は完璧。この人、登場したときから「変な顔」と誰もが思うでしょう。ちょっと肉がついたゴッホのような顔です。怖そうですが優しそうでもあり、荒くれ者のような知的なような、何とも不思議なキャラクターです。私はこの人を見たときにこの妙な気配をむず痒く思ってですね、直感的に思ったことがありまして(以下ネタバレになりそうなので自粛)
で、この変な顔のこの人、どう見ても見覚えがあります。映画を見終わって「見たことある。誰だっけ誰だっけ」と歌いながらキャストを調べてみますと、「ヴェラ・ドレイク」のレジーでしたっ。
ははーん。あのひとかー。あの彼だったのかー。いやあ、すごいもんですねえ。
エディ・マーサンがちょっと気になって「ヴェラ・ドレイク」を観ていない人は是非観てください。なんとも味わい深い見応えある役ですから。
誘拐される女性アリス・クリードを演じるのはジェマ・アータートンという方で、この方はあまり知りませんが役柄はいいですよね。アリス・クリードは誘拐されて命乞いをするときに「幼い娘がいるの」と言います。「嘘つけ」とすぐバレる嘘なのですが、この最初のちょっとした可笑しなシーンさえも、後々のアリス・クリードという人間がどういう人間かという伏線になっているのですねえ。
アリス・クリードがどんな女なのかというのは映画内で直接描かず、事件での言動とあとは間接的な情報だけで表現します。まるで「そこにいない人間の人間像を間接的多方面の情報だけで構築していく」というミステリの技法のようにすら感じます。
若いほうの犯人のなよなよっぷりや鈍くささは脚本上大事な点です。マーティン・コムストンの優男の風貌が効果を上げています。「アリス・クリードの失踪」のすべての展開はこの男のせいで起きると言っても過言ではない大事な役です。「明日へのチケット」に出てるんですね。
というわけで絶賛映画「アリス・クリードの失踪」でした。