またまたやってくれました、僕らのダニー・ボイル。
スタイリッシュで美しい映像、A.R.ラフマーンのダイナミックなサウンド、ジェームズ・フランコの超絶一人芝居。これは噂通りの凄い作品。
大渓谷の中でひとり身動きのとれなくなった若者のとんでもない127時間です。
腕を挟まれ動けません。水は僅か。持っている道具は安物ナイフやビデオカメラなど最小限。行き先は誰にも告げていないので捜索される可能性は限りなく0に近い。とんでもない状況で一人きりです。もうほとんど「さあ、ゲームを始めよう」状態です。
極限状態でのこういう物語は、サスペンスやスリラーでお馴染みの閉じ込められ系や脱出モノに似ています。しかし全然似ていません。「127時間」を観て「ソウ」や「リミット」を思い出す人はあまりいないでしょう。「ソウ」を連想してしまったあなたや私は、そのことに触れないよう、そっと心を封印するのです。なんか不謹慎に感じるからです。そんな映画を連想した自分をちょっと恥じたりします。
遭難モノというジャンルがあるのかないのか知りませんが、やはり遭難モノのひとつとして認識するのが正しいのでしょうか。
「運命を分けたザイル」にしてもそうですが、「遭難して苦労して助かる(か?)」というだけの実に単純なストーリーです。で、よく出来た映画は見ていて胃がよじれるほどの苦痛や孤独や生への渇望を共有できます。このジャンルに挑戦してそして成功する監督というのは実力的に相当なものであると確信できます。奇を衒いすぎないアイデアと脚本、リアリズムの演出、役者のハイレベルな演技に、構成や編集の妙技と、高度な映画技術を駆使しまくらなければ説得力を持たせられないし客に感情移入させられないからです。
「127時間」の天晴れさは「遭難モノ」すなわち「遭難して」「苦労して」「助かる(か?)」という基本設定にひたすら忠実で、余計な枝葉が全くなく、ただただ遭難したアーロンの孤独な戦いを追い続ける潔さです。削りに削り、研ぎ澄まされたスリムな物語の直球勝負。主人公アーロンに完全に感情移入してしまった観客は相当な集中力を画面に向けることになります。主人公と一緒に歯を食いしばり、絶望し、幻覚に気をそがれ、生きる気力を維持しようとふんばります。傲慢だった過去を反省し、人は一人で生きているわけではないと感じ、時には声に出して他人に助けを乞うことも恥ずべきことではないのだいや寧ろそれはいいことなのだと思ったりするわけです。
最後に近いシーンで思わず涙腺どばーの人もきっとたくさんおられることでしょう。あの最後のあそこで涙が出るのは、単に物語の結果に対する感情でもなければ単純に感動したからでもなければ音楽に乗せられたからだけでもありません。複雑ないろいろが絡み合った結果です。とりわけ、普通に存在する普通の人間とその優しさというものがどれほど尊いものか、きっとこの映画を見た人は感じ取ったことでしょう。
こういう効果を果たすダニー・ボイルの演出は見事というほかありません。スタイリッシュでテンポよく客を飽きささないポップさに満ちているのにちゃんと主人公の内面にぐりぐり迫るし深みはあるし孤独感も尋常じゃないし広大な景色もすごいし観客の心臓は鷲掴みだし、これを技術と言わず何という。
景色と言えば渓谷の映像がこれまた凄いです。あの渓谷はただでさえ凄いのでたいてい凄いのは当たり前なのですが、それにしてもあの映像は迫力です。撮影の人天才。
冒頭は、画面分割を駆使した大変キャッチーな仕上がりです。「スラムドッグ$ミリオネア」を彷彿とさせるリズムの強いダイナミックな音楽。A.R.ラフマーンさすがです。複雑でもないしメロディは普遍的なのに腹にずしんと来るこの人の音楽はほんといいですね。
主演のジェームズ・フランコは「127時間」で高評価を得たそうです。そりゃそうでしょうね。ほとんど彼の一人芝居。よくぞやり遂げました。見直した。
主人公アーロンはちょっと傲慢でわがままなところがあるとは言え、真面目な好青年です。子供の頃は眼鏡っ子でおとなしめなんですよね。大人になって眼鏡がコンタクトレンズに変わり、それを舐めて湿らせるという細かい演出もあります。
この細かい演出がなぜ必要かというと、アーロンが馬鹿マッチョマンでも頭の弱いワイルドスポーツマンでもないという、そのことを示す必要があるからです。
彼は普通の賢い青年であり、そのことは映画全体を通してとても重要な設定だと私は思っています。アーロンがそういう青年だからこそ成り立つ映画であると言っても過言ではありません。
原作はアーロン・ラルストン本人の自伝です。
序盤の、女性二人をガイドして危ないことをする部分は映画の創作で、アーロン本人も「渓谷は危険がいっぱいだから」事実ではないと言っているそうです。あれが嘘シーンでよかった。
映画的にも序盤でああいう危険なことをしでかす無神経さの表現はいらなかったんではないかと思っていました。