ラース・フォン・トリアーとトマス・ヴィンターベアらが発表した「ドグマ95」というのは、デンマークの映画運動で、技術的な映画製作のルールを定めたものです。
曰く、「撮影はロケのみ」「映像と無関係な場所で作られた音を乗せない」「カメラは手持ち」「照明効果禁止」「合成やフィルター禁止」「表面的アクション禁止」「時間・地理の乖離禁止」「ジャンル映画禁止」「35mmフィルムであること」「監督名をクレジットしない」
と、こんな感じで、リアルなドキュメンタリータッチの生々しいドラマが展開される予感があるルールです。
しかし実際にこの「純潔の誓い」にすべて準じた映画が作られることはほとんどなく、ルールのすべて守らないとドグマ95として認めないとかいうこともなく、つまりわりといい加減なもので、これは映画製作の心意気を示したにすぎないのではないかと思えてしまいます。
そもそもトリアー監督自身が「ルールは破るためにあるのだ」と明言しており、ドグマ95のルールは、提唱者自身がそれを打ち破るために作ったとも受け取れる発言をしております。
というわけで、「イディオッツ」はトリアー映画では唯一の「大体ドグマ95」作品であります。ほぼドグマ95です。大方ドグマ95です。
音響効果や別の場所で作成した音の追加を禁止しているのに綺麗なBGMが流れます。おっかしいなーと思っていたら、なんとこのBGMはロケしてる家のトイレの奥の部屋で演奏してたんですねえ。DVDのオマケも見応えあります。
さて「イディオッツ」は、大きな家に住み込んで知的障害者を演じるグループのお話です。これは強烈。
ここだけで告白しますが、私、同じ遊びをしていた頃があります。本気で障害者を演じる姿勢も同じです。だから彼らの馬鹿っぷりや根底に潜むアナーキズム、社会批判、戦闘態勢、そして甘えや言い訳も大変よく理解できます。
もちろん映画はフィクションであるからして、そういう連中のお話を作り上げた脚本の能力に驚くと共に、映画の持つパワーに圧倒されることになります。
障害者のロールプレイに勤しむ彼らの、個々のドラマも本気度満点です。細やかで繊細で無言ですらあるドラマチックな部分を見逃すことが出来ません。「奇跡の海」「イディオッツ」「ダンサー・イン・ザ・ダーク」が「黄金の心」三部作と言われて大いに納得です。この辛さ、このもどかしさ、このいたたまれなさはトリアー監督の真骨頂。女優虐めの大御所。ひたすら悲惨で哀れ。ドラマ作りの名人、天才監督ということを痛感します。
たとえばあるお嬢さんの父親が連れ戻しにやってくるシーンがありまして、ここでは年齢的にこの父親のほうに感情移入してしまって大変でした。あのサングラスで隠れた目線、お茶をすする動き、あぁもう、きつすぎます。もだえ苦しみます。
正直、「イデオッツ」がこれほどの大傑作とは想像もしていなかったので、大興奮さめやらぬ状態で未見の「奇跡の海」がどうしても観たくなりAmazonポチの遅れてきたトリアーブームに沸き立つ我が家の映画部でありました。
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