2011年の最新作「ル・アーヴルの靴みがき」が公開され、アキ・カウリスマキのさらなる強い力を見せつけられた昨今ですが、書き残していたようなので「コントラクト・キラー」をご紹介。91年のサスペンス喜劇、独特で絶妙な間と笑いが大いに炸裂している「コントラクト・キラー」です。そして面白さの中に労働者階級の悲哀を描きます。
孤独で真面目な主人公をジャン=ピエール・レオが好演。
長年勤めてきた職場をクビになり、もともと孤独だった上に未来への希望を失い絶望に苛まれ、自死を決意、あれこれ試すものの上手くいかず、ついには殺し屋に自分殺しを依頼します。依頼したあとドキドキしつつも人生終わったー、とあきらめの境地でいるとなにやら人生が好転し始め、アキ・カウリスマキの得意技「一目惚れの一発恋愛の奇跡」を起こし、やっぱり生きるわ、殺し屋にキャンセルするわ、と殺し屋の連絡先に出向くも酒場がつぶれていて連絡取れず。主人公(ジャン=ピエール・レオ)と殺し屋(ケネス・コリー)の攻防が始まります。
サスペンス喜劇のお手本のようなコメディです。でもアキ・カウリスマキ風味はやはり独特。主人公と恋人と殺し屋ですが、彼らの底辺っぷりが本作のキモです。周辺の登場人物も皆労働者階級です。死と近い場所にいる人間たちの生きたい気持ちを描きますが、「生きましょう」みたいな生に対するポジティブなだけの作品ではなく、そこにはやはり皮肉が込められています。「労働者階級に祖国はない」という強烈な台詞も飛び出します。
そもそも主人公が職を失うのは、水道局の民営化に伴うリストラ解雇です。まあなんとも水道を民営化するとは狂気の沙汰。国費で整備した生きるためのインフラを営利目的の守銭奴がまるごと頂いてその代わりに労働者階級を死の淵にたたき落とします。本来は電気もガスももちろん郵便も道路も最低限の鉄道も空気も民間会社が営利目的で供給するようなものではないのです。が、現実には人が生きるためのすべてのものを営利企業が牛耳るかあるいは課税するというふうに世の中は進んでおりまして、もうすでに不可逆的末期症状は限界近くをさまよう状況です。
そういう話はともかく、ジャン=ピエール・レオが無表情に演じる主人公の魅力はたまらないものがあります。序盤の孤独っぷり、恋に落ちて有頂天になる様、そして殺し屋との攻防、これはいいです。レオ様こんなんしててええのんかというくらいです。
対する殺し屋もこれまた味わい深いいい設定。真面目に殺し屋という職業を勤め上げています。はたらくおじさん殺し屋編です。人を殺す職業ですが自分は生への執着を持っています。この設定が最後のほうで効いてきます。もうたまりません。
ラスト近くに登場するハンバーガー屋のシーンも強い印象を残します。ハンバーガー屋の親父をセルジュ・レジアニがやっております。めちゃいい感じです。やはりとても味わい深いです。
どうもアキ・カウリスマキ映画の感想を書いてると、味わいとかたまらんとか間とか絶妙とか、そういう同じ言葉ばかり出てきて語彙の少なさに絶望して死にたくなって殺し屋に自分殺しを依頼したくなりますが我慢します。
最後は無理矢理な歌でしめくくります。なんとクラッシュのジョー・ストラマーが歌手の役で出演していて、ポーグスの歌を披露しますよ。
下層階級の人生に意味を与えるものがあるとすれば、恋と酒と煙草と音楽かもしれません。どれも無駄なものです。ですがどれも必要なものです。と、いつも感じることをまた改めて書いてみたりして。
人道主義が高じると社会に批判的になり、その後絶望に陥ります。絶望の果てに「ル・アーヴルの靴みがき」みたいな極端なファンタジーをぶつけてくるアキ・カウリスマキの心の奥は誰にも判らないし、社会も変わりません。
“コントラクト・キラー” への1件の返信