韓国映画を食わず嫌いしている人でも作品を観れば驚きおののき必ずや感銘を受けるであろうずば抜けた才能ポン・ジュノ監督の長編劇場映画デビュー作品です。
「殺人の追憶」「グエムル」「母なる証明」はどれも超弩級の傑作怪作。一見ばらばらな映画ですがその根底にあるのはノン・ジャンル、または複合ジャンル的な自由さと人間の深みや多面性をえぐりまくるキャラクター造型、突飛で予想を裏切る展開や思わず前のめりになる映像表現です。何や全部か。べた褒めやん。
「ほえる犬は噛まない」というタイトルから受けるイメージはもちろん都会のバイオレンス。
そうなんです。てっきり、そっち系の映画であると思い込んでいたんです。
韓国映画のバイオレンスはかなりヘビーですから、ポン・ジュノの名を轟かせたこの作品、如何に恐ろしいシーンが待ち受けているのか、身構えて鑑賞しました。
ええそうです。カバーアートすら知らずにです。
はい。
ぜんぜん違いました。まさかの犬の映画(違)
ある大きなマンションに関わる人々(と犬)の映画でした。ジャンル分け不能作品です。コミカルだけどコメディじゃない。事件はちょっと起こるけどスリラーでもない。社会的なテーマも含むけど社会派映画もない。残酷で怖いシーンもあるけどバイオレンス映画でもない。それは何かと尋ねたら、でんでん。
韓国語の原題は「フランダースの犬」です。人を食ったようなタイトルですね。
うだつの上がらぬ非常勤講師、その妻、マンション管理事務所の快活でかわいい女性、そのめちゃおもろい親友、凄みのある警備員、紛れ込んだ浮浪者、唾吐きばあさん、もう何というか、登場人物みな面白すぎます。
特に非常勤講師とマンションの警備員、この人たちの描き方はすごいです。この設定、この役割で、あんな風に描けるなんて、これどんな力業を使ってるのでしょう。とんでもなく多面的に人間を描きます。
逆に単純化させた管理事務所の女性(ペ・ドゥナ)はそれはそれで良い対比となって見るものの感情移入を助けます。こういう割り振りも絶妙です。
ペ・ドゥナの演技も光ってます。すでにオーラ出ています。
この女性に太った親友がいて(コ・スヒ)、この二人のコンビも良い味わいです。ここいらは少女漫画のような繊細さと面白さで描き、グエムルに続くパワフルさも発揮します。
ジャンルはコメディということになっていますが、コメディ映画と言うには大きな抵抗があります。たしかに面白いし、後半大いに笑えるシーンもありますが、序盤などはコメディどころか、マジ怖いです。残酷なシーンもあり、コメディ映画と思って見ないほうがきちんと堪能できるはずです。
地下室での「ボイラー・キムさん」の件などはさらにノン・ジャンル性が発揮されます。面白くて怖くてギャグでもありサスペンスフルでもあります。
日本でも「黄色い砂」事件や「文学部唯野教授」によって大学の奇怪な生態が明らかになりましたが、韓国でも似たような事情があるのですね。そういう背景の元、非常勤講師の歪んだ心理状態が動物虐待を起こさせるのですが、このあたりはコメディどころか薄ら寒い怖さを秘めています。
で、その妻の態度や夫婦のやりとりはコミカルで人情話的だったりして、ちょっとした文芸映画みたいになります。
ラスト近くになるとコメディ色がどんどん強くなり、予想を裏切るある人物の行動やセリフに笑いを通り越して脚本と演出に感動すら覚えます。ペ・ドゥナの演じる女性の素直さや天然さもいいし、そして何と言ってもエンドロール直前のシーンは「監督、あんたは物事を判りすぎているっ」と映画的な感動に打ち震えますね。
特にある種の女性はこのラストシーンが大好きだろうと思います。ノン・ジャンルなこの映画、全体を通して何が残るかというとキュートさです。
ペ・ドゥナのアイドル的キュートさでもあり、他の登場人物のキュートさでもあり、ストーリーそのもの、舞台で起こる展開そのもののキュートさであり、演出や構成のキュートさです。
つまり映画としてのキュートさに満ちています。ノン・ジャンルでOK。複合ジャンルでOKなんです。大きな事件はなくても、細かい部分のきっちりした表現そのものが全体を包み込むんですね。そういう意味で作風からは何の共通点もなさそうなコーエン兄弟の映画なんかとの類似点を感じずにおれません。あるいは、こういうのこそ、オーソドックスな古典的な映画っぽい映画なのかもしれません。
こんなのを10年間も知らずにいたとは何という人生の損失。しかし大丈夫、今見ても全く遜色ない面白さを堪能できます。