奇才天才多才のクローネンバーグ、この作品は監督の転機の狭間にある、特殊な興味深い作品です。
「スキャナーズ」そして「ビデオドローム」でサイバーSF変態ホラーで一世を風靡し、「裸のランチ」「クラッシュ」などで気違い方面でも注目され、すっかりそっち方面のカルト教祖となったクローネンバーグが突然垢抜けて「ヒストリー・オブ・バイオレンス」「イースタン・プロミス」と言った任侠路線に転機するその狭間の時期に作られた「スパイダー」は、クローネンバーグ史的にも大変興味深い作品です。
2003年の劇場公開時にはまだまだ「そっち系」扱いでしたから上映館も少なく、出向こうと思っていたらあっさり打ち切られていて悔しかった思い出の詰まった本作、これはサイバーSF変態路線でしょうか、気違い路線でしょうか、はたまた任侠路線への伏線が見られるでしょうか。
はい。基本気違い路線です。しかしやはりちょっと違います。この作品はクローネンバーグ作品の中でも変わった位置にあると思います。他のどの作品とも違う何かが本作にはあります。原作つきで、脚本は原作者との共同執筆です。それも理由の一つかもしれません。
内容は、精神分裂病の男が抱える少年時代の両親に関するトラウマです。現在と過去のシーンが繰り返し登場し、そのどちらも現実なのか妄想なのか区別がつかない状態で示されます。演出はとことん静かで穏やかで嘘くさくて渋くてじっとりしています。
少年時代に起きた出来事、あるいは起きなかった出来事を精神を煩った主人公が反芻します。トラウマによって失われた過去を徐々に取り戻すという話なわけですが、原作は「叙述トリック」の技法によるミステリーで、徐々に記憶を取り戻す主人公自体、気が狂っていますからその彼が思い返す過去の出来事のいったいどれが事実でどれが妄想なのかさっぱりわかりません。「叙述トリック」を映画でやるとこうなる、という仕上がりになっています。
家庭内、パブ、小さな農地と小屋、ガード下、ガスタンク、療養施設といった「場所」が重要なポイントとしてこれまた繰り返し描かれます。
この作品、個々のシーンに漂う味わいが格別なんですよね。 繰り返し登場する「場所」に命が吹き込まれます。
特にパブのシーン、家庭内の母親とのシーン、そしてなんといっても農地と小屋のシーンの不思議な魅力は底知れぬ映画的魅力にあふれています。こんな風に演出できるんだ、と驚きました。
これまでサイバーパンクSF変態どろどろホラー発狂気違い映画の監督として名を馳せたクローネンバーグですが、本作は精神病を扱っているはずなのにその実きめ細かなホームドラマであるのですね。いわば精神分裂病的批判的ドメスティック・ミステリー・サスペンス・スリラーです。無茶苦茶書いてますね私も。
出演者の名演技も一級品です。レイフ・ファインズはもちろん、ミランダ・リチャードソンに大注目。私はエンド・クレジットを見てのけぞりました。この意味のある配役はある部分オチのどんでん返しと言えるかもしれません。
ジョン・ネヴィルもクレジットされています。「バロン」ですね。
そういえばこの映画の独特の味わいを醸し出している原因のひとつは、英国の俳優たちによる名演が醸し出す英国風味もあるかもしれません。というかそれ大きいですね、きっと。
いつまでも「スキャナーズ」や「ザ・フライ」を期待する若造や「裸のランチ」を期待する自称マイナー通たちの一部には本作を批判する連中もいるようですが、私はこの映画を高く評価します。というかかなり好きです。たしかに、大人シーンがちょっと静かすぎて間延びして退屈という意見にはまあ肯くところもあるにはあるのですが。
2009.04.16
“スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする” への2件の返信