この不愉快極まりない作品は、映像作家想田和弘氏が観察映画と名付けたドキュメンタリー第一弾。最近は「精神」がありましたね。「精神」すごかったですね。DVD化もされました。「選挙」も「精神」もぜひご覧ください。とても面白いですから。
切手・コイン商を営んでいた東大出の山内氏は、2005年の小泉郵政選挙の直後、縁もゆかりもない川崎市議会補欠選挙の公募に合格し、政治ド素人なのに出馬することになります。補欠選挙に力を注ぐ自民党、地元国会議員、市議会議員、それら後援会などが集中援護する中、いわゆる落下傘候補として駆けずり回ります。
その様子を淡々とカメラに収める想田監督。
この映画を敢えて今の時期に見ることによって生じる不快感は格別です。
なかなかこれほどの不愉快さは味わえません。
冒頭からいきなり「小泉改革の自民党の山内です」「小泉改革を続行します」「小泉自民党」「小泉 」の連呼です。観ていて頭を抱えます。
2005年の郵政選挙は沈みゆく日本が立ち直れるかもしれない最後のチャンスでした。結果はみなさまご存じの通り。一億総痴呆化による小泉自民党の圧勝、不可逆的破滅が決定づけられた記念すべき総選挙の直後です。その頃の様子がリアルに出ていて寒気がするシーンが目白押しです。
そして方々から集まってきて祭りを司る「選挙屋」をカメラに収めます。
選挙屋にとって選挙は命をかけたイベント。はい、もちろん当選後のことなど知ったことではありません。選挙が終われば次の選挙の準備があるだけです。それが選挙屋の常識であり、立候補者の常識なのです。
山内氏の心情は描かれません。彼は淡々と選挙屋の言うことを聞き、自分の名前を連呼します。頭を下げ「ありがとざいます」「ありがざいす」「はい」「はい」「山内です」「山内です」
まるで砂利タレントと仕掛け人のプロ集団たちのようです。
2時間中、まともな世界の住人不在のまま、変質者の集まりが淡々と映し出されます。まるで「死霊の盆踊り」を見ているようです。この異世界の蠢きが日本の政治を司る根本部分です。これが日本の選挙、日本の政治の実態です。ほんとに不愉快極まりない作品です。ですがそこに価値があります。
よくよく見ていると、ときにまともな世界の住人が登場します。山内氏の奥様さゆりさんです。
ときどき彼女が愚痴ったり、ちょっとした言葉を発するとき、そこにまとも世界を感じることができ、少しほっとしたりする自分を発見できるでしょう。
山内氏本人も、ごく一部彼の考えを垣間見せるシーンがありました。
同窓生と会っているとき、奥様の愚痴に答えるときのシーンです。このわずかな瞬間以外、山内氏は「本当のところ」を全く見せず、選挙行動一途で行動します。
あ、この人わざとやってるな、と感じます。
どぶ板選挙に駆けずり回り、選挙屋の指令に従い、名前をただ連呼する山内氏です。でもどこか何か醒めている部分をお持ちです。本気で選挙世界に首を突っ込んではいない印象を受けます。
それがもっとも端的に顕れているのは肝心の日にのんびりしていて皆がやきもきする中、なかなか姿を現さないシーンです。
あのシーンでは実は観ているこちらの方がドキドキやきもきして「何やってんのー早くー」と心の中で叫ぶほどでした。
何のことはない、日本の選挙というものを強く批判しながら観ているこちらのほうこそが、どっぷり選挙屋の洗脳にはまり込んで、彼らの常識の影響下にいてしまってるんです。
山内氏は遅れてやってきて、何も気に留めていない様子です。彼こそ、当事者であるにもかかわらず何の影響も受けておりません。
「つ、強い」思わずつぶやきます。
いやはや、迫力のあるドキュメンタリーでした。
海外でも高評価らしいですが、日本人としては自国の恥部を晒して恥ずかしい限りです。この映画で日本の選挙を冷静に見て、それでも日本が先進国でございと言えるんでしょうかねえ。
さて、というわけでもちろん気になるのは山内氏のその後です。
リアルタイムで見逃したからこその後調べですが、山内議員は次の選挙には不出馬を決め、議員をやめて子育て主夫をやっておられます。
想田監督と共に世界を回り、映画絡みの出版もし、講演やセミナーなんかをしておられるようです。
奥さん、仕事を辞めなくて本当に良かったですね。
映画を見ていても感じることですが、山内氏は政治家になる志は最初からあまり持ってなくて、何かのステイタスを得るために立候補したのではないかと思わせる節があります。
同窓生との会話で選挙運動を醒めた目線で語っている事からも判る通り、最初から比較的冷静で、熱い選挙運動にわざと身を投じていることは明らかです。ですから奥さんの愚痴に答えたように、選挙屋に何を言われても怒られても叱られても気に病むところがなかったのでしょう。
細々と商売をやっていてもどうにもならん。よっしゃ政治家になってみよう。みたいな、怠惰とプライドを併せ持つ人独特の発想のような気がします。
そしてまた、そもそも想田監督を入れてこの映画の撮影を許したこと自体、最初から彼自身も選挙をイベントとして捉えていた証拠ではないでしょうか。
想田監督はほとんど言葉を発することなく、選挙というものを記録し尽くしました。価値ある仕事を成し遂げたと言えましょう。
2010.11.03
さて追記の2011年4月1日。
3月の大地震と原発事故で今後の日本は大きく様変わりすることが確定したわけですが、この時期に山内氏は再び出馬の表明をされました。
脱原発とともに市民目線の政策を掲げ、前回の小泉路線、自民党路線とは決別する宣言をされています。
さらに追記の2012年年末。
選挙です。馬鹿馬鹿しいほどの選挙が今現在行われています。
日本の終焉を決定づけた2006年(2005年だっけか?)のあの選挙の続きです。
テポドンが流行語と化していたあの頃からのシナリオの続きをしゃーしゃーとやろうとしているボケカスどももおります。このチャンスのために貧困率を上げナショナリズムを煽り異端排除と歪な正義感の拡散をじわじわ行ってきた。甲斐があったな、などと褒めている場合ではありません。
原発事故の対応といい何もかも「なぜ」と思うような非道な政治が行われておりますが、なぜ「なぜ」と思うかと言えば、それは「人間にとってよくないから」です。「なぜこんな間違った政治が行われているのか」と思う人は、人の命や暮らしが一番大事で、政治の仕事はそれを守ることであると思っているからです。
でも当の政治家は違います。なぜなら国民に人権など認めていないからです。このことはこれまでの戦中・戦後・最近の政治を見ていれば感じ取れます。
人権なんかないとなれば、国民のために政治をしなくて当然、国民殺しや放射能拡散など何ら問題ないと、そういうわけなんですね。つまり根本的な問題です。「なぜ政府は間違ったことをするのだろう、あほなのか」と思うのは、政府が国民に対して正しいことをしようとしているはずだという甘い考えに基づいています。
自民党は憲法を放棄するために必死です。憲法は政治を縛るものですが、国民を縛るもの、つまり法律と同等のものに変えてしまえという悲願達成に向けて絶賛頑張り中です。こんな連中を国会に送り込んではいけません。
今回の選挙の争点は、原発、TPP、消費税ですが、ここに来て憲法来ました。
原発も消費税もすべて「人間の生きる権利と価値」が根底にあって初めて政策を競えます。国民の命や人の生きる権利に価値を見いだしていない人間がどういう政策を取るか、ご覧の通り酷い有様となります。
「政策が間違ってる」のではなく「基本の思想が違う」のですね。奴らにとっては正しいことをしているというわけですね。こりゃ困ったことになってきましたよ。と。
<「公共の福祉」ってなんだろう?| 法学館憲法研究所>
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