冒頭の掴み部分はスピーディであっと声が出そうな事件シーン。次に主要登場人物が登場し、あれよあれよと展開します。ミステリ&サスペンス。
事件を追う新聞記者、議員、軍事大企業、徐々に肉付けされる被害者像、美女、変な人、スナイパー、黒人警官、親しい刑事、可哀想な巻き添え、小うるさい上司、スパイに陰謀、不倫に友情、ミスリードとちょっとしたオチ、あらゆる定番がひしめきます。
あまりにも定番過ぎて「テレビサスペンスみたいだね」と。おっと、本当に元はテレビドラマでした。
そんな普通なサスペンス、ですが見落としがちな個性もよく見れば垣間見れます。
事件に無関係な巻き添えを食ってしまう一般人というものがこの手のサスペンスにはちょい役で登場しがちです。本作でも冒頭にちょろっと出てきます。
で、この巻き添え系被害者、ちゃんと本編で人物紹介されるんですね。
「被害者はピザの配達途中だった」「配達のバイト?」
「バイトじゃなく、フランチャイズ契約のための研修中だった」
「妻子もいて住宅ローンも」
映画の短い尺の中ですが説明を惜しみません。
それにしても研修中って、可哀想過ぎるやおまへんか。涙。
つまりこの被害者をはじめとして、人物設定がちゃんとしていて細かいんですね。そのあたりが軽薄になりがちなサスペンスに説得力をもたらします。
主人公のワイルド系記者はわりと類型的ですが、それでもワイルドさだけでなく知的で世渡り上手で人に好かれる描写を惜しみません。ちょっと新しいですよね、こういうの。親友の議員も、スナイパーも、怪しい奴も、みんな記号化された類型的設定ではなく、ほんの少し人間味あふれる味付けがなされています。
そういうところが今風だと思えるんですよね。
その目線を自覚すると、ストーリー的にもなかなか味わい深いものがあります。オチが弱いとかテレビドラマみたいとか言って突き放す前に、揺らぎや人間味の丁寧な作りを褒めるべきですね。
それともうひとつ、とても大事なことはこの映画の最後のほうで主人公記者が語る言葉、そしてエンドクレジットの映像です。
「消されたヘッドライン」の現代性はそんなところに現れています。これは新聞を読まなくなった現代人へのメッセージ、現場で働く記者を応援する「はたらくおじさん応援サスペンス」ですよ。プロレタリアート・サスペンスでございます。まさに今風。
日曜の夜にぴったりな、重すぎず軽すぎない安心印のサスペンス映画でした。
監督はケヴィン・マクドナルド。「ラスト・キング・オブ・スコットランド」「運命を分けたザイル」の人です。この方はドキドキシーンを撮るのがほんと上手いですね。高い技術を持っておられます。
当初は主役にブラッド・ピットがキャスティングされていたのだとか。へえ。それはそれで別の味わいが出たかもしれませんね。
議員の奥さんアン役は「フォレスト・ガンプ」のヒロインもやったロビン・ライトさん。お綺麗ですね。ん?「アンブレイカブル」の奥さん役もそうでしたっけ。
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