缶コーヒーのボス、トミー・リー・ジョーンズが初監督したのは心に突き刺さる魂のメキシコ旅情。
脚本家のギジェルモ・アリアガとトミー・リー・ジョーンズはお友達だったらしく、そのことから企画がスタートしたとのこと。名脚本家のお友達と組んでメキシコと国境をモチーフにした映画を作ってみたかったという割と単純なスタート地点から、この素晴らしい作品は産み落とされました。
さてこの「メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬」ですが、このタイトルがまたイカしてるじゃありませんか。ガルシア・マルケスの小説みたいなタイトルですね。
そして本編はそんなカッコいいタイトルにタイトル負けしているかと思いきや全くそんなことなく、想像を超えた傑作に仕上がってます。初監督でこの腕前は凄いです。
まず前半は群像劇のようにあっちこっちのそれぞれのドラマが描かれます。今になって振り返ればギジェルモ・アリアガの脚本ですから時と場所を越えた群像劇はお手のもの、こういう技法は当たり前ですが実は観た当時はそんなことは知りませんでした。
徐々に見えてくる人間関係とあってはならなかったひとつの事件。
後半はトミー・リー・ジョーンズが友人メルキアデス・エストラーダとの約束、三度目の埋葬を遂行すべく、暑苦しいテキサスの僻地をメキシコ目指して旅します。
淡々と描かれるロードムービー。観ていても辛くなってくるような暑苦しい旅です。でも基本的にブラックジョークと共にあります。本気とおふざけに本質的な違いなどありません。このブラックジョークばりの設定が本作をマジックリアリズムの本拠地、南米文学へと魂を近づけます。
そんなこんなで若造を引っ立てながらの旅に付き合っているうちに、観ている側にはあるひとつの別の感情が芽生えてくるでしょう。
トミー演じるピートのこの強い思いはいったい何に由来するものなのか、ということです。「そこまで必死にならなくても」と思いつつ、そこまで必死になる彼について、だんだんと見えてくるものがあります。それが本編で特に描かれないピートという男の奥底にあるもので、観ているこちらにそれがぼんやりと感じられてきます。
ラストで同行の若者に逆にかけられてしまう一言で鑑賞者は大きなショックを受け、のけぞるでしょう。私も椅子から転げ落ちそうになりました。判っちゃいたけど、決して口に出されてはいけない言葉でした。主人公ピートのこれまでの全てが裏返り、強い孤独が白日の下に晒されます。
これは後の「ノーカントリー」にも通じる “老人映画” と似た範疇の映画と言っていいんじゃないでしょうか。孤独の中で頼るものは過去だけであり、メキシコの家族を語るメルキアデスと孤独な男ピートに何ら質的な違いはありません。メルキアデスを信じることのみを目的化して旅する初老の男の姿を通して、普遍的にノスタルジーを強く感じさせます。この郷愁こそが老人の孤独の象徴です。
トミー・リー・ジョーンズはまだ老人というにはお若いですが、このテーマの突き詰め方は半端じゃありません。ギジェルモ・アリアガの超絶脚本と共に、奇跡的な逸品がまたひとつ歴史に刻まれました。
テキサスの景色、人々、場所場所、どれもこれもが名シーン。
製作にリュック・ベッソンの名前があります。リュック・ベッソンもいい仕事をしました。
カンヌ国際映画祭にて男優賞・脚本賞。カンヌの脚本賞にハズレなし。老齢にかけての孤独がわかる大人のあなたに強くお勧め。
2008.6.3
2010.08.27
“メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬” への1件の返信