良いオープニングですねえ。遠くからポケットバイクに乗ったマイケルがゆっくりゆっくり、ろんり〜の歌にあわせてやってきます。
マイケル・ジャクソンを演じることでしか自己表現のできない青年が老人ホーム慰問の仕事先でマリリン・モンローそっくりさんと出会います。
で、誘われてコミューンへ。
ずっしりとした作品です。予告編に騙されて物真似師たちが繰り広げるドタバタ喜劇と思ってはいけませんよ「ガンモ」の監督ですよ。
なかなか、これは観ていても辛いですね。
この映画にも駄目人間がたっぷり登場します。表現者、アーティストとしてしか生きられない。たとえ才能なくても。そうじゃなければ彼らは犯罪者になるか死ぬしかありません。でもそれも出来ない。ピュアだから。
身に覚えのある人も多いはずです。ほら、そこのバンドや芝居やってる人、アーティストを目指してる人、いつも仲間が集うカフェやバーでたむろってる自称表現者のみなさん、あなたも私も、所詮そっくりさんごっこをやっている社会不適合者の駄目人間なのですよ。
うわ、きっついこと書いちまった。
でもですね、世の中に一番必要で最も重要なのは無駄と非合理ですよ。エコロジーの観点から言ってもそうです。生態系は無駄と無意味、非合理と混沌、代替と予備で出来ています。それがいつか「何かの代わり」になったり、生態系の秩序を保護したりしているわけです。
ハーモニー・コリンも、十分な愛を持って駄目人間たち、表現者たちを描いています。
2010.05.11
“ミスター・ロンリー” への1件の返信