「女優霊」のDVD発売がついに決まった模様。え。いままでDVDで出ていなかったのか。しらなかった。それは酷い。今までなにやってたのだ。まだまだDVDも過渡期ですね。
とにかく名作映画がやっとのことでDVD化されるということでこれはひとつ「女優霊」について書くしかない。その前に予約予約。
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さて「女優霊」ですが、上映していた時は全く知らずに数年後ビデオで観たのですが、あまりの名作にのたうち回ってもがき苦しんで死にました。そして生き返ってもう一度観て改めて感心し、それからというもの友人が来たら一緒に観て、ひとりでまた観て、同じ映画を繰り返し観た回数は「ミツバチのささやき」「ブラジル」に次いで生涯3位くらいじゃなかろうかと思うほどです。
「女優霊」は「怪談」(小林正樹 1965)に匹敵する日本映画の歴史的代表作ですよ。。
与太話はこのへんにして「女優霊」がどんな映画かかいつまんでお話しすると、まず映画監督が主人公で舞台は撮影所です。映画を撮っています。フィルムの端まで来ると、昔撮られたらしい映像が残っているようです。何が映ってるんだろう。うわなんだこれ。と。こういうお話です。
以下テーマを絞って分析。頭の中をフラットにしておくためにもこれから観る人は読まないほうがいいかもしれません。ネタバレはしていないと思いますが踏み込んでしまったので。期待しすぎると肩透かしですもんね。なんせデビュー作だし、ちょっと稚拙なところもないでもないですしね。それを踏まえて以下どうぞ。
最初のポイントは舞台である撮影所。
撮影所と言えば昔日本映画が隆盛を極めた華やかなりし頃からの古い施設だったりして、そこには歴史というものが刻まれていたり、多くの人の魂が染みついていたりします。この感じを非常に上手く撮っています。
もし「撮影所」という言葉にピンと来なくても、古い小学校や古い病院など、子供のころのそういう施設を思い出してください。この舞台の設定には「昔は隆盛を極めた華やかな」「今は比較的寂れている」「長い年月の中で多くの人が関わり合った」「雑然と広い」「古いものも残っている」「ちょっと怖いところもある」「懐かしくもある」というキーワードがぴったしの、いわば「怖いノスタルジー」の象徴となっているのであります。
とてもいい設定です。ここまでは多分、多くの人が合点していただけるだろうと思われます。
「怖いノスタルジー」は「女優霊」を紐解く大きな鍵です。「怖いノスタルジー」にどこまで共感するかは、ひょっとすると世代によって違うかもしれません。個人的な体験にも左右されるでしょう。この映画を怖くない人と怖い人では、この「怖いノスタルジー」に経験的に感情移入できたかどうかの違いがあると思うわけです。
さて撮影所の話を続けます。
で、この映画の舞台は共感を得やすい古い小学校や病院ではなくあくまでも撮影所です。撮影所であらねばならぬその理由は、もちろん映画監督が映画を撮るというシナリオだから当然なのですが、映画・映像業界の過去と現在に思いをはせれば、さらに世代を限定した「怖いノスタルジー」を強調する設定だと言うことが判ります。映画業界が華やかだった頃は撮影所はさぞかし賑やかだったことでしょう。人が入り乱れて、フィルムはごちゃごちゃ、誰かが奥の方で死んでても気付かぬほどバタバタしていたかもしれない。現在はひっそりしています。夜中にひとりで編集作業などしているとちょっと怖かったりします。そして古い映像がフィルムに残っています。現在と過去が、同じフィルムに隣り合って存在します。歴史を越えて同居しているんです。
フィルムカメラを撮っていた人ならもしかしたらこんな経験があるかもしれません。長い間カメラにフィルムを入れっぱなしで忘れていて、そのまま続きで写真を撮った。現像してみたら最近撮ったスナップの後ろのほうに色の変わってしまった写真が混ざっている。死んだおばあちゃんが元気な頃の庭先で微笑んでる写真だよ。おばあちゃーん。みたいな。
こういう怖さです。フィルム、残っている、ここで撮影された、過去と現在が混ざり合う場所、それが撮影所という舞台ならではの怖いノスタルジーです。
「怖いノスタルジー」攻撃はまだまだ続きます。
「女優霊」は撮影所で映画監督が映画を撮るお話です。どんな映画を撮っているんでしょう。
ここで「映画内映画」という言葉を出します。映画内の映画のことです。劇中劇という芝居の中でやる芝居がありますね。あれです。二重構造ということですね。小説内小説というものもあります。主人公の小説家が小説を書くんですが、その書かれた小説そのものが小説内でしっかりと書かれ、大きなウエイトを締めていたりします。たとえば、スティーブン・キングの「ミザリー」という小説があります。主人公が書いている小説がたっぷり掲載されていて、身に降りかかっている事件と完全に二重構造になっているんですね。「ミザリー」面白いですよ。
さて二重構造である「女優霊」で主人公の撮っている映画、これが本気の曲者です。
私はこの映画内映画がほんとに怖いのです。「ミザリー」と違って、あまり詳しくは表現されないこの映画内映画は常にシーンの断片でしかありません。断片ですから象徴的なシーンが短く登場するだけです。だからこそ、観ているこちらは想像力が膨らみまくって、それが怖さに繋がってしまうんです。
シーンの断片から全体の恐ろしさを空想することで生じる恐怖は「怖い夢」に似ています。怖い夢はなぜあれほど怖いのでしょう。それは不確かであやふやな夢の断片を元に、恐怖という感情だけが増幅されるからです。
「女優霊」の中で主人公の監督が撮っている映画が何故怖いかというと、同じく不確かな断片から想像による恐怖心だけが伝わってくるからだと言えるのではないでしょうか。
もうひとつ大きな要因があります。出ました「怖いノスタルジー」です。映画内映画で撮っている映画の舞台は、どうやら戦争をしている頃のようです。古い日本家屋も出てきます。この時代にノスタルジーを感じる世代はどれくらいいるでしょう。もちろん私も戦争の時代を生きたわけではありませんが、でもどういうわけか強くノスタルジーを感じます。ユング的な解釈の日本人としてのノスタルジーでしょうか。それとも、間接的に見聞きしたことによるノスタルジーでしょうか。
どちらかはわかりません。私は、親族が戦争の話を聞かせてくれた世代であり、古い日本家屋の田舎で寝泊まりした記憶を持っている世代です。戦争の記憶は常に古い日本家屋とセットでした。だからこの映画内映画にとてつもなく不安感や恐怖を感じるんです。
若い人はどうでしょうか。これも、個人的な体験によって感じ方に差があるのでしょうかね。
このように「女優霊」が描く「怖いノスタルジー」は、それが日本人にとって普遍的なのか、世代的なものなのか、個人的な体験に基づく限定的なものなのかを断定できません。断定できないからこそ、ある程度の普遍性を持っているとも言えます。個人的な体験を普遍的なものへと昇華させる力が中田監督にあったのだとも言えます。
「怖いノスタルジー」に関してもうひとつだけ言いたいことがあります。これも同じく、個人的世代的な体験に基づく限定的な感情か、それとも普遍的なものなのか断定できません。
それは「古い映画」あるいは「古いテレビ番組」の恐怖の記憶です。
こんな経験ありますか?
「子供のころ、無茶苦茶に怖い映像作品を観た!それが何だったのかは良く覚えていない」
むかし、子供のころの記憶を辿ってみてください。はっきりと理解もしていないし覚えてもいない頃に観た映画またはテレビ番組です。当時は白黒だったかもしれませんね。ひとつくらいあるんじゃないですか?
あの恐ろしい映画または番組はいったいなんだったんでしょう。多分、その正体を知って今あらためて観てもあまり怖くはないかもしれません。子供だから怖さが増幅したんでしょうか。でもその怖い映画または番組、本当にあったんでしょうか。もしかしたら夢で観た怖い映画だったのかもしれません。誰か大人に話して聞かされた怖い話を空想の中で映画にしただけなのかもしれません。
誰かが作り上げたけど、完成に至らず上映できなかった誰も見ていないはずの映画かもしれませんね。
わずかなシーンの断片と、それをとても怖がったことしか覚えていない曖昧な記憶。それは誰しもにあるはずです。
その曖昧な記憶には、いろいろなものが付随しますよね。寝ている部屋の天井の木目とか、二階の部屋とか、お母さんの靴下とか、窓の匂いとか、当時持っていたおもちゃとか、仏壇の線香の香りとか、電気の消えたトイレとか。体験や世代によって個人差はあれど、曖昧な記憶に基づく怖いノスタルジーというのは、やはりある程度普遍性があるのではないかと思います。
というわけで他にも注目のテーマはいくつかあるんですが「怖いノスタルジー」に絞って「女優霊」の正体をえぐり出しておきました。
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