ナポリと言えばマフィア、ここは昔からやくざが牛耳ってきた地でもあり、その現実の恐ろしさは想像を絶する有様です。映画でも散々描かれてきた南イタリアのマフィアにかっこよさなんかを感じるひともいるかもしれませんが、実態はもっとどろどろしていて大変なものなんだろうと思われます。私もやくざが比較的力を持っている土地で育ちましたが、やくざの規模が違いますし、任侠の種類も異なりますし、なにより力が強いと言ってもたかがしれています。岸和田にも劣りますし尼崎なんか遙か彼方です。ですのでやはり身近な感じはわかりません。しかし例え尼崎であっても、このナポリなんかとは全然違うと思われます。具体的地名を出して申しわけありません < (_ _)>
ナポリの犯罪組織、世界最大と言われるカモッラの実態に迫るこの映画「ゴモラ」で描かれる街はまさしくゴモラです。荒んでいます。どこか発展途上の小国であるような錯覚さえ受けます。
イタリアは北部と南部では世界が違います。文化や言葉もずいぶん違うし、印象もまったく異なります。あまりにも印象が違いすぎて個人的おかしなエピソードもいろいろあります。
私が20年前に強気で行ったある仕事がありまして、イタリア人デザイナーの原案を元に壁画を制作したわけでありますが、大がかりな仕事故学歴の高いブレーンを雇いまして、その中にイタリア語の出来る先輩がいたわけです。立場は建築屋の下請けでありますからそれまで言いたいこともなかなか言えなかったわけですが、このイタリア語が出来る先輩ブレーンのおかげでイタリア人デザイナーと直接会議することが出来て、スムーズに話がまとまり、そのことで株が上がってその後も仕事しやすい状況に持っていくことが出来ました。で、後になって話をすると、このイタリア語の出来る先輩が住んでいたのが南部だったそうで、北部のエリートデザイナーとの会話は日本語に直すとこのような会話だったのだそうです。
「あなた方が日本側の美術の制作担当ですね。どうぞよろしくお願いします」
「おう、イタ公のセンセイ、よう来たのうわれ。わしらが描いたるさかい、注文があったら言うたらええで」
「ここは上品で透明感のあるトロンプ・ルイユにしたいので淡い色のフレスコ画っぽくお願いします」
「ゆるゆるのふわふわにするんかい。白っぽくしたらええんやろ白っぽくしたら。おまえの言うてる意味はよーわかるで」
「詳細については、資料をお渡しするので検討を重ねて行きましょう」
「そなんもんいらんわい。わしらを舐めんなよ。おっさんはホテル帰って飯食うて寝とけ。適当に仕上げといたるさかい。わかったなおっさん」
「よろしくお願いします」
「おぅ、まかせとけや」
イタリア人デザイナーは人間が出来た人だったので眉一つ動かさず、にこにこしていてくださいました。
えーと何の話だっけ。そうそうナポリです。
というわけでこの「ゴモラ」のナポリ弁、北部の上品なイタリア映画とは発音がまるで違います。それもあって、独特の世界、閉じた世界感も感じたりします。
主な舞台となっているのは建築的にたいへん面白い作りの巨大な集合住宅です。その奇怪な造型は、神の領域に触れて罰を食らったバベルを連想します。やはりナポリといえどもイタリアはイタリア、スラムのような置き去りの巨大ビルにも芸術性を強く感じます。
さて映画の内容ですが、宣伝文句では「シティ・オブ・ゴッド」の名を出しています。出さなくてもいいのに。「シティ・オブ・ゴッド」と、まあ全然被らないわけでもないですが、でもやっぱりまったく異なります。むしろ真逆です。ドラマチックでもないしスタイリッシュでもないしひとりの男の成長に注力することもないし、ぜんぜん違います。マフィアとチンピラの無法地帯という共通点だけです。
どちらかというと「ゴモラ」は群像劇で、無関係な人々、言ってみればマフィア「カモッラ」の周辺の幾人かを無作為に抜粋してしばらくカメラで追いかけただけ、みたいな、そんなふうな作りです。
ドキュメントタッチで淡々と暮らしを描きます。クールです。
エピソードも突き放したような描き方です。ところどころ、ハッとする映像もありますので、何もかもドキュメントタッチというわけでもありません。なかなか渋いんです。
マフィアの巨大さや、その恐ろしさは多分描き切れていません。描かれるのはあくまで「個々」ですから。背後にあるものを感じ取ることで薄ら寒さを醸し出します。単に田舎のやくざという存在を超えて、世界を股にかけていることも現代的なマフィアの恐ろしさの一つです。
例えば原発の廃棄物処理を請け負うエピソードが描かれます。世界のゴミ捨て場です。適当にドラム缶を転がし、末端の貧乏人が被爆します。トラックを子供に運転させたりします。もう無茶苦茶です。この現実を冷静に見ると、巨大マフィアが世界の利権と絡み合っていることがうかがえましょう。今時のやくざ問題は、地元だけのお話ではないんですね。
会計係のおじさんはもの凄く危険な立場にいて、この人が出てくる度にドキドキします。ドキドキしっぱなしで、最後見終わると「このおっさん・・・運が桁外れ」と、肩すかしから転じて面白さを感じたりします。このドン・チーゲルのエピソードが好きです。
馬鹿な若者二人組のエピソードにも力が入っています。馬鹿すぎてひやひやします。ひやひやしっぱなしで、最後見終わると「こいつら・・・アホすぎる」と、これはこれで不思議な落としどころです。
その他、少年たちのエピソードに絡むマリアという女性の件など印象深いです。落ち込みました。
それから何と言っても仕立て屋の話が面白いですね。この人のパートはドラマチック。面白いです。
原作はロベルト・サヴィアーノの「死都ゴモラ」です。カモッラの実態を暴き大騒ぎとなった書物で、この本を執筆したことで殺害予告をされ、警察保護下にいましたが、脅迫の激化でついにイタリア出国にまで追い込まれているそうです。
この「死都ゴモラ」を原案にしつつ、フィクションとして作り上げたのが映画「ゴモラ」です。指名手配中だったカモッラの一員が出演して、後に逮捕されたというエピソードがあったそうです。
撮影の生々しさがうかがえますね。
大量にクレジットされた脚本家たち。これはめずらしいですね。群像劇のそれぞれを別の人が担当したのでしょうか。これが物語の一貫性を排除し、不思議な群像劇を形作った原因かもしれませんですね。