ヨーロッパ映画臭漂う「クロエ」がおもしろかったのでオリジナルである「恍惚」を見ないわけにはまいりません。
夫役をジェラール・ドパルデュー、妻役をファニー・アルダン、娼婦役をエマニュエル・ベアールが演じます。どうです、この堂々たるトリオ。これを観ずしてフランス映画は語れまい。いや語る必要などありませんけど。
残念ながら「恍惚」より先にリメイク「クロエ」を観てしまっています。これはいけません。頭から「クロエ」をリセットしなければなりません。そうでなければこの映画を楽しめません。
フランスは愛の国。フランス映画は愛の映画。愛と言ってもふわふわのキラキラの表層的な愛ではございませんで、愛と言えば性愛、体と体、粘液と粘液のねちゃくりあいにございます。
まずなんと言っても夫の浮気から物語りは転がり始めます。「クロエ」を前提としてしまうとここでまずついて行けません。「クロエ」では浮気の疑いでありまして、妻は欲求不満でありまして、エロティシズムは強烈なもののその実プラトニック感が強い映画でありました。
「恍惚」は違います。夫の浮気は事実だし、序盤ではその行為を妻が詰りますし、夫は「しょうがないやん」と居直ったりします。この浮気事件が元で妻は娼婦にある依頼を行いますが、それは「浮気を確かめる」ためではなく、夫の性行為を報告してもらい参考にしたいからなのであります。
お、大人〜。
というわけで「クロエ」との差異はとても大きいのです。
ある部分では全く同じようなシチュエーションの完璧リメイクを行い、根底の部分では全く異なる映画に仕立て上げたのですねえ。
リメイク話を引っ張って恐縮ですが、とても些細なシーンが印象深いです。
娼婦が初めて会う夫の気を引くカフェのシーンです。
「恍惚」では娼婦ナタリーが煙草をくわえて夫に近づき「火をいただけます?」と言います。
「クロエ」では娼婦クロエが夫に近づき「お砂糖をいただけます?」と言います。
片や煙草で片やお砂糖です。大人とこどもの差が端的に表れております。
フランス映画とアメリカ資本の映画の差が端的に表れております。
もうひとつ「恍惚」はスリラー映画ではありません。「クロエ」はどんどんスリラー映画となっていきます。
いろんな違いが面白いです。「恍惚」では説明を排除した余韻と深み、「クロエ」では説明し尽くすすっきり感があります。
ちょっと期待していた妻と娼婦の例のシーンは「恍惚」にはありません。表現として全体的に「クロエ」のほうがエロティックです。
結論としては「恍惚」は大人のフランス映画としての風格と面白さがあり、「クロエ」は「恍惚」のある面白い部分を増幅させたリメイクであります。どっちも良い。
リメイクを一旦リセットしなければ楽しめないなんて言いながら始終比較しまくって楽しんでおりますが言動不一致ですいません。
さてエマニュエル・ベアールの魅力についてです。
まあ皆さん、このエマニュエル・ベアールという人の超人的魅力はいったい何事なのでありましょうか。
多国籍の血を引く人間離れした美貌と謎性を併せ持つこの方、本人的にも役柄的にもぴったりフィットのはまり役です。
彼女の役はプロ娼婦ではなくて娼婦もやれるホステスさんです。美容師の技術も持っていたりして可愛いところもあります。
ナタリーと名乗って別人格を作り上げ夫との情事を報告します。この別人格があるとき本人を乗っとったりします。大変複雑な役であります。
時々何を考えているのか、愁いを含んだ顔のアップが続きます。この深み。ラスト近く、最後の登場シーンも無言のアップシーンです。ナタリーは何を考えていたのでしょうね。すばらしい演技と演出でした。
ファニー・アルダンもちょうど良い微妙な年齢のはまり役です。日本人が見るとちょっと男っぽいところすら感じるしゃきっとした顔のかっこいい女優さんです。
夫の浮気を詰り、前半は欲求不満のセックスレスの妻、あるタイミングで欲求不満が解消された直後の晴れ晴れしたあのすっきり感はすごい演技です。ほんとみたいです。
そして夫役の名優ジェラール・ドパルデュー。男前なのかデカッ鼻のデブのおっさんなのか、いえいえいつまでたっても男前ですよ。あのつぶらな瞳は若い頃から何も変わりません。
夫役にこの名優を起用できたのは「恍惚」の奇跡のうちの一つかもしれませんですね。
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