福島の原発爆発事故がなければこの映画を見ようとした人は少なかったろうし、事故以来、これまで廃棄物の問題を知らなかった人もいろいろと知るようになったと思われます。これを喜ばしいこととは微塵も思いませんが、知らぬ存ぜぬでは済まされないということを今回の事故で多くの人が認識できたのならそれはそれで幾ばくかの価値があったのだろうと思わないでもないです。ただしその幾ばくかの価値を得るための代償は限りなく透明に近い人類史上最悪極限のSF的大悲劇でありましたが。
もはや「東京に原発を」なんて悠長な牧歌的なことを言っている段階ではないのでして、実際には東京だって汚染されたのだから結果的には似たようなものと言っても過言ではないし「東京原発」のあのテロ事件なんかおちゃらけて感じるこの余裕っぷりです。
ありとあらゆる人類規模の悲劇的局面の中で最も最上位にある悲劇王原発事故が起きてしまってから4ヶ月、考えられるあらゆる終末的危機の中で最も最悪かつ情けなさの極致、国家による隠蔽虚言見殺し作戦も実行中であり、およそ想像できる暗澹たる未来社会の中でもずば抜けた最低の未来社会、簡単に洗脳される愚衆によるファシズムがぐつぐつと煮えたぎりつつ台頭しております。
この宇宙的規模の最悪にして超カッコ悪い事件の真っ只中に我々はいます。もはやどんな大スペクタクル映画も馬鹿馬鹿しく思えて見る気をなくし、かわいいちびっ子映画を見て泣くくらいしかできることはありません。
そんななかこの廃棄物処理場のドキュメント映画を見るわけですが、もうね、ここに出てくる人々のまともさ加減に、映画の意図とは逆の感情の高ぶりを押さえられません。
出てくる人たちは大真面目に馬鹿なことを検討しています。10万年後の未来生物に廃棄物の危険性をメッセージとしてどう伝えるか、なんてやっているのです。
普通にこれは苦笑いが出てくるべきところです。
ところが日本ではどうか。
一体どこの偉いさんが未来生物を気遣いますか。どこの社長さんや議員さんが廃棄物の危険性に真面目に向き合いますか。どこの電力屋が何万年も未来について真剣に考えますか。
そんな人いません。少なくとも、日本において責任を果たすべき地位にある人の多くは、この映画に出てくる人の持つ想像力の100万分の1も持ち合わせていません。責任ある地位の人だけじゃありません。虚言という風呂に首まで浸かったカルト信者のごとき愚衆がまた尻馬に乗ります。何万年も未来の人間に対してどころか、これから生まれてくる子たちどころか、今生きている子供たちや他の地域の人さえ平気で見殺しにするのを善しとする想像力欠如にして人間性皆無にして愛の欠落した村八分だけを畏れるファシズムの奴隷、そういう烏合の衆が事態をより悪い方向に持っていきます。
この映画のシニカルな笑いと皮肉に満ちた部分、これがすべて現在の日本では裏目に出ます。つまりこの映画で皮肉っている対象が、日本の馬鹿より100億倍まともでましなのです。
我が国のことを顧みずにはおれず、情けなくて泣けてきます。
さて、泣いてばかりおれないので映画的側面から見てみましょう。
肝心の地下トンネルはこの映画の時点でまだ掘っているだけです。巨大トンネルを掘る職人の姿が随所に挟まれまして、非常にカッコ良く処理しています。
ハイスピードカメラで撮ったようなスローテンポと現場の照明が作り出すトンネル工事の職人の姿は凛々しくも美しく、この手の映画として想像できるとおり、その映像は「2001年宇宙の旅」風味でもあります。
「コヤニスカッティ」や最近の「いのちの食べ方」なんかにも共通する、あのくらくらするような美しい映像です。これはカッコいいです。
実をいいますと、もっとこのトンネル掘りのドキュメント部分が沢山あってほしかったんですが、トンネル掘りよりも実際はインタビューが中心です。
なかなか味わい深い方々が登場していろいろ語ります。
監督でスクリプトも書いたマイケル・マドセンがナレーションを努め、時々マッチを持つ姿で登場します。ドキュメンタリーですが大筋は作者たるマイケル・マドセンが10万年後にパンドラの蓋を開けてしまった未来人である我々に対して語りかけるというストーリーです。
この壮大な馬鹿馬鹿しさに対してシニカルに廃棄物問題を問いかけるというテーマですが、せっかくのその部分はフクシマが起きてしまって最悪状態の我が国ではまったく洒落にもなりません。非常に残念なことです。
マイケル・マドセンというこの監督さんですが、最初「はて、マイケル・マドセン・・・聞いたことがあるなあ、誰だっけ誰だっけ」というわけで、アメリカ人俳優の悪党顔マイケル・マドセンをご存じない方はここで是非「マイケル・マドセン」を画像検索していただく、当時の私の感覚を共有してみてください、ぜひ。
(あなたは検索中です)
はい。マイケル・マドセン、確認しましたか。
で、私はびっくりして、できたてほやほやの公式サイト対して「監督のマイケル・マドセンって、あのマイケルマドセンですか??」とツイート。
すぐに公式さんからリプライがあって「同姓同名の別人です」ときっちり教えていただきました。
日本人はレントゲンやCTが大好きですが、先進諸外国では滅多なことではX線撮影などという危険なことは行わないそうです。
10万年後に語りかける本作、では10万年前はどんなころかというと、本編にも出てきますが、アフリカで人類の祖先が生まれはじめた頃です。ネアンデルタール人の時代です。
10万年後が如何に想像の範囲を超えた未来かということが伺えます。
10万年前の日本はというと、日本列島が今と全然違う場所にあって形も随分違ってた頃ですね。何億年も安定した地層を持つ大陸とは全然違います。
この一点だけ見ても、日本では廃棄物の処理は不可能ということが阿呆にもわかるんじゃないでしょうか。
廃棄物の処理が不可能な国である以上、もちろん核を利用した大規模開発などやってはいけないことです。当たり前です。
若い人はともかく、いい年をした大人は、少なくともチェルノブイリやスリーマイルの事故でそういうことを学んだはずです。しかしフクシマ事件の後でさえ学んでいない想像力欠如の阿呆人間がまだまだうじゃうじゃいるのです。
今最も恐ろしいのは放射能よりこのうじゃうじゃ人間たちです。魑魅魍魎です。妖怪より恐ろしいですね。
[追記]
そして時が経ちました。魑魅魍魎たち別名ゾンビたち別名大丈夫おじさんたちの暗躍は驚愕レベルで進行し、もはや取り返しのつかないレベルに達してしまったようです。
追記してるのは2014年の2月2日ですが、2月10日正午まで、この映画が無料で公開されているとのことですので、ドンぴしゃの時期にこのページを観る人がいるかどうかはともかく、告知しておきます。
http://www.youtube.com/watch?v=dtH_Lkd73eQ
まったくもって同感です。
今度は地下に原発を作ろう、なんて言っている阿呆がいますが、
そういう懲りない面々は、廃棄物の問題にまったく触れません。
我々の子孫をゴミの捨てられない家に住ませるのか?っていうこと
ですよねえ。
Kenさんコメントありがとうございます。ちょっと毒吐き気味の感想文ですが正直な感想文なのでして。
核の問題に関しては知識や主義主張以前に生物としての根源的な何かが関わっているような気がします。
映画ブログも拝見しました。おおお。観たくてまだ観てない上映中作品がジャストに沢山・・・。私はなかなか劇場へ出向けないものでして、上映中作品のレビューは目の毒でございます。