「ロルナの祈り」を観て絶望を感じてしまった。
ダルデンヌ兄弟の映画を遅れて追い求め見尽くしたので新作を待ち望むわけで、公開されて飛んで観に行きます。
まず最初に「ダルデンヌ兄弟らしからぬ」と思いました。
これまでの「ロゼッタ」や「ある子供」「息子のまなざし」にあった絶望の中にある希望の光と愛を印象づける後味が影を潜め、本作は愛の含みをぶった切った上に生存も危うい、全て終わった、と、主人公と共に「何もない感」を共有させながら絶望的に終わります。つまり、絶望的なんです。
えええっ。ダルデンヌさん、この映画、絶望的すぎませんか?いつもの希望の光はないんですか。どうなんですか?
反芻すると、色々見えてきます。
細かいお金のシーンも重要。愛の成り立ちも深すぎます。ロルナは自分が野良犬じゃないことに気づいてしまい、それがそのまま不幸へと繋がるんでしょうか。そうであるなら、悲しすぎるじゃありませんか。
現実の世界は救い難いし希望などありませんがダルデンヌ兄弟作品は徹底的に絶望を描きながらも愛と希望をわずかに感じさせるという高度なヒューマニズム映画を作ってきました。その彼らが「ロルナの祈り」でやらかしたことは一体なんですか。ここに何か希望を見いだせとおっしゃいますか。もしや、愛のダルデンヌ兄弟ですら、社会の絶望に立ち向かう気を失ったんでしょうか。
そうではないと信じたいです。
もしかしたら、この絶望感の中に強烈な愛を紛れ込ませましたか?ロルナの未来に、何か希望があるとすればそれは何ですか?
今までの作品よりもっともっと小さく希望を隠しているんでしょうか。強烈すぎて反芻しきれていないのかもしれません。咀嚼も足りません。
人生の修行も足りません。
「ロルナの祈り」を観ても尚希望があるという方に人生を教えていただきたいと本気で思います。
映画は素晴らしい出来でした。
2008年 第61回カンヌ国際映画祭で脚本賞。
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