監督によると「ピアニスト」より先に企画があったが資金が調達できず後回しに撮ったとのことで、「ピアニスト」の受賞と大ヒットがこの作品の実現に貢献したことがわかります。イザベル・ユペールの尽力も多大なものがあったそうな。映画を作るって大変なことです。
うっかり未見だった「タイム・オブ・ザ・ウルフ」はいろんな意味で興味深いハネケ作品でした。
まずこの作品はSFです。これをSFというと怒り出す人もいるかも知れませんし監督本人も認めないかもしれません。ですがこれはある絶望状況、簡単に言うと世の終わりにおける人々の物語ですから、明確にSFです。ファンタジーや科学的検証に満ちたもの以外にも、こういうのもあります。
フェルナンド・メイレレスの「ブラインドネス」に近い、終末世界の人間が人間としてどう振る舞うかというようなものを文芸的に描く作品です。まずは無理矢理文芸方面のSFと断言しときます。
SF作品として観た場合、じつは脚本にかなり無理があります。
冒頭付近と中盤、そして終盤に描かれる人間たちの様子は、SF的に見るならば多分数十年の経過が必要です。
何か原発絡みの大事故が起きて世の終わりを迎えた直後のパニック、そして社会基盤が崩れ去って絶望の混沌にいる状態、そして混沌から新しい社会やルールが生まれ始める状態、そしてさらに一度崩れ去った社会基盤の中から新たに芽生えるヒューマニズムへの期待、という具合です。本来、そうなるまでにはとても長い時間が必要なはずです。それをわずか数週間に凝縮したストーリーとなっているんですね。
そういう部分に限って言えば、後発の「ブラインドネス」のほうがより丁寧に描いています。テーマも似ているし、お話の筋道もそっくりです。世の終わりのパニックから社会崩壊と人間性崩壊、新秩序の中で芽生えるヒューマニズムです。どちらがどうというのはありませんが、似ている点は興味深いと思います。
「ブラインドネス」の原作、ジョゼ・サラマーゴの「白の闇」は1995年の作品だそうですから、ミヒャエル・ハネケの「タイム・オブ・ザ・ウルフ」に影響を与えた可能性はありますが実際のところは知りません。偶然かもしれませんしね。
ということでSF談義でしたが、実際のところこんな話はどうでもいいです。どうでもいい話を長々とすいませんでした。
さて「タイム・オブ・ザ・ウルフ」の冒頭は凄いです。
山道を車が走っていて別荘に着きます。両親と姉弟が車から降り、荷物を別荘に運び入れます。
「お。定番ホラーやがな」と、この先どんな話になるのか全く知らずににこにこと見ておりましたら、荷物を運び始めた矢先、別荘に潜り込んでいた人間がいきなり登場します。猟銃のようなものを構えています。
「いきなり強盗来たー」と、この先どんな話になるのか全く知らずにドキドキ見ておりましたらですね、これがですね、いきなりあの、あれです。
「げほごほがほ」とむせかえります。
なんという、あのな、こっちはな、まだ心の準備できてないねん。何さらしてくれんねん、ほんまにこの監督の油断ならなさは異常事態やで。
そういうわけで新しいホラー映画の展開ネタを惜しげもなく提案されてしまい映画部員はすでに虫の息ですが、ホラーのネタなどはべつにどうでもいいことで、どうでもいい話をすいませんでした。
さて与太話はともかく、感じたことはたくさんあります。涙腺ドバーのシーンもあります。辛さに身をよじります。不憫でのたうち回ります。個人的な話ですが、不憫にめっぽう弱いのです。
ミヒャエル・ハネケの映画にはいつもいつも揺さぶられっぱなしです。この監督の技術はやっぱり抜きんでておりまして、あまりにも多層で多重、いいたいことや考えることが多すぎて大変なことになります。
なんといってもドラマを描くのが上手すぎます。角度やカット時間や役者の演技やセリフの言葉ひとつひとつ、すべてが完璧すぎてこちらが気づかないうちにドラマへ没頭させます。技術がありすぎる場合、その技術を感じることがなくなってしまいます。見破る前に持っていかれてしまうんですね。
まずはドラマとしての凄さを感じて、最後まで見た直後の放心状態とそれから反芻による余韻に身を浸しながら、あらためて物語の進め方の技巧に気づくということにもなります。
例えばですね、弟ベニー君のことを考えてみましょう。彼は最初からあまり喋らず、あまり映らず、あまり活躍しません。でも過敏で傷ついていることは示されています。
全体を通してお姉ちゃんのドラマはわりと目立ちます。母親の苦悩も前半よく目立ちます。姉や母はベニーをとても気にかけていますが、目を離すことも多いということに気づくでしょう。見てるときにはわかりにくいんですが、よくよく思い出すとそうなんですよね。
このときベニー君は何を感じていたんでしょう。
全てのシーン、他の重要な出来事を次々に綴りながら、ベニー君のことは監督ですらちょっと放置気味で、そして、それこそが最重要であることが最後まで見ると明らかにされます。
ベニー君の心を想像して、見ているこちらは溢れる涙を止めることが出来ません。
何と繊細で勇敢でヒューマニズムに溢れた最後のシーンでしょう。
ベニー君のは一例です。お姉ちゃんや、モーリス・ベニシュー演じるおじさん親子、ポーランド人、ミルクを飲むおばあさん、もう所狭しと物語りが詰まっています。その物語のすべてが周到です。バックボーンを感じさせ、彼らの人生を物語ります。
事細かに言いたいこともたくさんあるんですがぐっとこらえます。とにかく素晴らしいです。
ハネケといえば映画マゾを快楽に溺れさせる非道で最悪な映画を連想しますが「タイム・オブ・ザ・ウルフ」は珍しいことに絶望の底から発現するヒューマニズムの光を強く感じさせる作品です。
監督本人は「私の映画はいつもヒューマニズムである。芸術の基本はヒューマニズムである」と語っていますが、何をおっしゃる、ファニーゲームのどこがヒューマニズムかこら。
まあ、でも実はそうですね、ヒューマニズムの出し方が違うだけですよね。でも「タイム・オブ・ザ・ウルフ」は明確にヒューマニズムに溢れた、絶望時代の希望までを描いたお話です。
この感じはまるでダルデンヌ兄弟の映画みたいです。これにはほんとに驚きました。
オリヴィエ・グルメも出てるし、ダルデンヌ作品と騙すことも出来るかもしれません。いえ、騙す必要ありませんけど。ていうか誰を騙すねんと。
さて役者さんですが、完璧女優イザベル・ユペールが母親役、お姉ちゃんエヴァ役はアナイス・ドゥムースティエで、この子いいですよねえ、気づかなかったんですが他の出演映画観てました。
弟ベニー君はルーカス・ビスコンブという子役ですがあまり情報ありません。
ベアトリス・ダル出てます。かっこいい。この人ほんとにかっこいい。
オリヴィエ・グルメ出てます。凄腕です。
「隠された記憶」の強烈な一撃で観る人の心に一生傷を作ったモーリス・ベニシューもいます。いい味わいです。
パトリス・シェローは映画監督ですが俳優でもあるのですね。出演しています。
というわけで正月早々ミヒャエル・ハネケ「タイム・オブ・ザ・ウルフ」でした。大絶賛。やっぱすごいです。