「ヒドゥン・フェイス」は2012年の秋頃に公開されていたスリラー映画で、DVDが出てから観ました。
公開中もその後も、タイトルの「ヒドゥン」という響きが、昔観た変なホラーみたいで何となく安っぽいイメージがあるものだから頭の片隅にも残っていませんでした。いつも邦題に文句ばっか言ってるくせに邦題の響きにだまされるとは情けないことです。
傑作です
先に結論ですけど、これは滅茶苦茶に面白い作品でした。若干のホラーテイストが含まれるスリラーです。男と女の愛憎サスペンスでもあります。
スリラーとかサスペンスとかのジャンルで、はっきり言いますけど十年に一度の傑作です(個人比)
素晴らしいストーリー、練り込まれた脚本と物語の構成、絶妙な主要俳優のキャスティング、どれも完璧。
いつも演技や映像や構成なんかを取り上げて褒める癖がありますが、今回は俳優そのもののキャラクターを絶賛しています。こういう部分で感心するのは我ながら珍しいことだと思います。
つまり脚本上のキャラクターが、出演俳優そのもののキャラクターとものすごく合ってるんです。合ってるどころか、単に演技力だけでなく、この役者さんたちだからこそ映画が面白くなったと確信しているんですね。だからキャスティングそのものを絶賛できます。
予告編と公式イントロダクションはネタバレすぎて閲覧禁止レベル
スリラーでミステリーですから、ネタバレはいけません。
いつもいつも書いてることをまた書きますが、予告編のネタバレは悪意のレベルですので避けたほうがよろしいです。ちょっと今確認して腰が抜けました。
あまりの驚きに、各国版のいろんなトレイラーを見てみましたが、やっぱり超絶ネタバレしているやつばかりです。
配給会社が資料として配ったイントロダクションもこれまた酷いです。一般にはこれを目にする機会が多いので、より悪質です。
イントロダクションで何をやらかしているかというと、ストーリー上、後で徐々に明かされるどんでん返し的「序盤より以前の物語」を、一番最初に前提みたいに書いていたりします。あきれ果てて膝が笑います。
でも紹介がないとどんな映画かさっぱりわからないので誰も見ません。
ですので冒頭をご紹介します。
冒頭はこんなです
冒頭は恋人の置き手紙ならぬ置きムービーです。「出て行きます。まだ愛しているけど探したり憎んだりしないで」
それを眺めながら呆然としている棄てられた男です。随分傷ついたご様子です。
どれくらい泣き濡れて過ごしたのかわかりませんが、その男がバーで泣きながらウィスキーを煽ります。可愛らしいウエイトレスが影で「泣いてる男ってやーねー」などと言っていますが、このウエイトレスがとても優しい女性で、結局は酔いつぶれた男を介抱し、それがきっかけで新たな愛が芽生えたりします。
さっそく家にウエイトレスを連れ込む男。ウエイトレスが洗面台で奇怪な現象を目撃します。怪しい音がして、水面が揺れます。いわゆる、ホラー的な怖い現象です。「この家には霊がいる」と怯えます。
てな感じでお話が始まりまして、行方不明の元恋人を探す刑事などが登場し、消えた恋人と残された男の関係が後に明かされたりしていきます。
おすすめです
映画的にはごく普通の娯楽サスペンスです。そういう手のスリラー、ミステリー好きな方は、レンタルでも何でもいいから是非観てください。お勧めしときます。珍しくiTunesStoreにもあります。
鍵が出てきまして、鍵と言えば「スケルトン・キー」です。「スケルトン・キー」も観たときは大絶賛して、お勧めお勧めと騒いでいたものです。鍵が出てくる映画の二大傑作ですね(内容は全然違いますよ)
こういう映画を紹介するとき、もうこれ以上言うことありませんが、もうちょっとだけ説明するとすれば、愛の物語系でもあるという点です。
スリラー好きでも、愛の物語が嫌いな場合は躊躇ありです。消えた恋人、新しい恋人、指揮者の男の物語です。愛憎系と言ってしまうと火サスみたいに思われそうですが、まあ、基本そのようなものと思っていていいかもしれません。
不憫です
それから、私個人の嗜好のお話をしますが、私は「不憫」系にとても弱いです。単に悲しいとか単に感動物語とかにはあまり動じませんが、不憫な話には根こそぎ持っていかれます。
それがこの映画を絶賛している最大の理由です。こどもが出てくる映画が好きなのも、そこにある「不憫さ」にやられてしまうためかもしれません。
この映画の不憫さは予想していなかっただけにたまらないものがありました。
テクニカルだけどそれだけじゃないので大丈夫
テクニカルなミステリー部分、謎解きやどんでん返しが凄いっていうだけの映画ではないです。が、予告やイントロダクションに触れずに観たら、何度もやってくるどんでん返しに大いに感心するでしょう。特に登場人物に感情移入して観るタイプの人にとってはとてもショッキングなはずです。
ミステリーのマニアや予告編を観た人なら中盤までのどんでん返しについては最初からわかってしまっているので、ミステリー的面白さは半分くらいしか感じないでしょう。
でもそういったテクニカルな部分を経てからのドラマの面白さこそがこの映画のキモなので、からくりだけが興味の対象の人以外にとっては、多少のネタバレなど何の問題もないかもしれません。
まあそんな感じです。
マルティナ・ガルシア
それから大事な点があります。
新しい恋人を演じたマルティナ・ガルシアについてです。この女性、役の上でも最初の登場のときから優しくて綺麗で、とてもいい感じなのですが、女優としてもですね、脱ぎっぷりも良くて最高なんざますよ。いやほんと。
それでですね、所謂貧乳なんです。しまったバラしてしまった。いや、それはいいんですけど、私は映画を見終わって、他の人の感想をいくつか軽く読んでみたんです。
そしたらその中に、ツイートか何かでマルティナ・ガルシアの貧乳について書いてる人がいて、その人が貧乳のことを「こっぱい」と書いていたんですよ。
こっぱい!
何ですかそれ。言い得て妙すぎて椅子からずり落ちました。ネットか何かで流行ってる言い方なんですか?わかりませんけど、とにかくこっぱいという言葉に感動しました。
そんなわけでこっぱい美女がお好きな方は何をさておいてもこの映画を観るのがいいでしょう。
マルティナ・ガルシアは「Biutiful」にも出演していたんですね。MovieBooの人名のマルティナ・ガルシアにも項目書きました。facebookにも写真がたくさんあります。素敵。
クララ・ラゴ
もうひとりの女優、クララ・ラゴの熱演に目を見はります。一見ちょっと怖い顔にも見えたりしますが、無邪気そうな演技や賢そうな演技やその他その他、かなり見事です。
子役の頃から映画に出ていたようですね。日本で紹介されている作品数はマルティナ・ガルシアより多くあります。
キム・グティエレス
「マルティナの住む街」のキム・グティエレスです。単純そうでなかなか深みのある役をこなしました。どういう役回りか詳しく言うわけにはいきませんが、ちょうど良い人選だと思わないおれません。
交響曲第7番第二楽章
この曲が使われていました。ドラマチックな曲で、よく映画に使われます。この映画でもなんとなく使われました。
だいたい以上です。
そしてただ絶賛しているだけでは満足できないので、この後ネタバレの感想文書きます。
直接的には書きませんが内容に踏み込みます。ネタバレしない主義だったんですけどどこへいってしまったんでしょう。くれぐれも未見の方はご注意を。
ではさようなら。
この下は観た人用の感想文になります。直接のネタバレはしていませんが間接的にバラしているようなものなので、これからこの映画を観る人は是非避けてください。観てからまた読みに来てください。
こんにちは。観ましたか。面白かったですねえ。では内容に踏み込みます。
物語の構成についてです。
この映画は普通の映画ですが、とても優れた構成です。観客を手玉に取ります。
唐突に別れのシーンから始まり、新しい恋人との出会いを序盤に描きます。観客は以前の恋人を知りませんから、新しい恋の物語に感情移入します。ウエイトレスは可愛くて優しい子なので、新しい恋を応援するような気分を観客に植え付けます。
そして心霊現象が起きます。
元恋人、実は死んでるんじゃないの?という疑問です。「死体が家にあるんじゃないの?」
それからこう思うようにも作られています。「この主人公の男、怪しいんじゃないの?殺した?」直後に、明らかに主人公を容疑者と思っている刑事も登場します。
でもミステリー慣れしている人ならこうも思うでしょう。「元恋人、生きてるんじゃないの?もしかして、家にいるんじゃないの?」
いろいろ思わせてくれるいい脚本ですよ。
刑事が言います。「出国は確認されていない」
その一言により、このカップルが今外国に住んでいるのだとわかります。「どういうこと?このカップル、どういうカップルだったの?」と疑問符が湧き出て、その後物語そのものが大きく転換します。
「以前の物語」が語られるシーンが登場するわけです。
それまでは、ウエイトレスが話の中心でした。中盤、消えた元恋人の話になります。語られる中心をずらすんです。ちょっとした回想シーンかなと思わせる元恋人の物語が、回想シーンどころか、メインのストーリーになってきたりします。
そして時間軸が重なるときは、いわゆるマルチカメラ的演出と言いますか、序盤で観た同じシーンを、今度は別の目線で描くんですね。こういうからくり技法が飛び出す映画とはなかなか想像していた人もいないんではないでしょうか。実に効果的な構成です。びっくりするというよりも、ぐっときます。テクニカルなのではなく、情緒的なんですよ。それがまた効果絶大なわけです。
こうした構成の力は、脚本の勝利と言っていいでしょう。脚本が如何に優れているかは、細かいシーンを見ていってもよくわかります。また、優れた脚本が優れた演出セットになっているからこその効果も確認できます。
大雑把に言って、主要登場人物三人の、わずかな心の隙が重大な結果を及ぼしてしまうという話です。とても寓意的です。
三人とも基本悪いやつじゃありません。ですが、あるときふと心の迷いから、うっかり悪さをしでかしてしまいます。このことがより不憫さを強調する結果になります。後悔しても遅い、因果応報といった言葉がよぎります。特に元恋人なんか、無邪気さ故のあの結末、不憫さが半端じゃありません。心を掻き毟られます。
テクニカルな映画であると同時に、とても情緒的な映画であるとわかります。
短い尺の映画なのに、登場人物の性格をびしっと描ききります。性格描写に関しては神業です。ほんの数秒の会話、ほんの一種のカットで、その人物を表現しつくします。役者たちの演技力もありますが、脚本と演出、それから編集の見事さのたまものです。
例えば序盤のウエイトレスの部屋の様子と後半の模様替えシーンとの関連ひとつとってもよくわかります。
まああの実は私なんかは普段ややこしい映画も好んで見ますから、もっとしつこく描いてくれてもよかったんですが、それはそれ、一般向けの映画として、最小限の時間で最大限の表現をしているこのような映画をほんとに感心して見てしまいます。
この映画の最大の見どころ、心を掻き毟られたり思わず声が出るようなクライマックスシーンがが二箇所あります。最初はほんのいたずら心で始めるあのシーン、花束を見てにっこりすることろからしばらく、見ているだけでのたうち回ります。どんな残酷な映画でも、これほどの残酷があるでしょうか。こんなにも不憫で残酷な話はありません。もう一つはしばらく後のコミュニケーションのあのシーンです。こちらは見ていて声援の言葉が飛び出すシーンです。映画的にややポジティブな印象を持って見るシーンです。ここでも観客は手玉に取られます。「如何に無駄なシーンなく練り上げられた脚本か」を痛感するあの時間帯のシーン、見事です。でもそのシーンの後半では「ああーっ」と叫びます。
ところで、このコミュニケーションシーンで「誰なの?」の後、この映画唯一のずっこけギャグセリフがあります。
さて、情緒的に見たとき、この映画の終わりの続きはどうなったと考えられるでしょう。
映画の随所で描かれているように、主要人物は映画的極悪人ではありません。一人はしっかり者で賢く、でも無邪気な女性です。もう一人は貪欲なところはあれど心優しい女性です。男は浮気性ではありますがやっぱり基本真面目なやつです。でもちょっと抜けています。鍵と写真を見て、真相に気づくでしょうか。もし気づかないと、残虐なエンディングとなりそうです。でも大丈夫、肝心の彼女は、あのまま放っておくことはできない性格の筈です。
悪魔になりきることなどできず、アホの男が何も気づかないとすれば、きっと何とかするでしょう。
と、このように楽観的な気持ちで映画を見終えることができるのも娯楽作品としてよくできているところです。決して最悪の気持ちで見終えるような映画マゾ専用のどぎつい話ではありません。
斜に構えず、単純な目線で見ず、登場人物に感情移入できる人にとっては戦慄の物語、高評価間違いなしですよね。
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