チキンとプラム ~あるバイオリン弾き、最後の夢~

Poulet aux prunes
「ペルセポリス」のマルジャン・サトラピの長編映画二作目。死を決したバイオリニストの最期の8日間に現れる過去と未来をファンタジックに、ロマンティックに描きます。
チキンとプラム ~あるバイオリン弾き、最後の夢~

大事なバイオリンが壊れてしまったようで、代わりのバイオリンを探すところから物語が始まります。
しかしどんなバイオリンを手に入れても満足できる音を奏でない。絶望したバイオリニストは自死を決意します。

コミカルでファンタジック、ロマンティックで幻想的な作風の作品です。実写映画ですが、背景やセットにイラストチックな素材を用いたり、一部アニメを用いたりしており、夢の国のお話みたいな、そんなイメージで作られています。

童話のような語り口の物語ですが、そこには教育めいた寓意や道徳の強要などが一切ありません。童話に教訓を求めてしまうような人が観たらあっけに取られるような話です。
恋の物語でもあります。どちらかというと辛い話かもしれません。それはタイトルにもなっている「チキンとプラム」、原作では「チキンのプラム煮」とより明確ですが、これにまつわる哀愁漂う不憫な話にはぐっときますよ。

教訓はありませんが寓意みたいなものはもしかしたら感じ取れるかもしれません。なんだか、流れに身を任せるというか運命というか宿命というか、そういうものを感じます。

マルジャン・サトラピは自伝的アニメ「ペルセポリス」で一躍時の人となったイラストレーターというかマルチなアーティストです。「ペルセポリス」と同じく、ヴァンサン・パロノーの力添えで実現した長編映画二作目となります。

コミカルさは「ペルセポリス」より随分控えめで、後半になるにしたがってどんどん悲しい話になってきます。コミカルなところ、好きなんだけどなあ。
前半には息子と娘のふたりのちびっ子によるとても味わい深いシーンもあります。特に息子とバスに乗って出かける序盤なんかめちゃいい感じです。

死を決意してから8日間の間に、人生を振り返るバイオリニストです。いわゆる、走馬燈的な物語です。面白いのは、単なる走馬燈ではなくて、息子と娘の未来までが現れてくるところです。死は個人を超えているわけです。ここにも運命論的な大きなうねりの中にある小さな個人という発想を見て取れて興味深いです。

物語の随所にイラスト的で嘘くさい背景や美術セットやCGなどが盛り込まれます。一部アニメもあります。とてもファンタジックです。美しいです。

物語の随所に登場するもう一つの大事なアイテムがあります。たばこです。
もうね、あらゆるシーンで登場人物が煙草を吸います。大事なシーンで煙草の煙を扱ったりもします。素晴らしい。
素晴らしいのはいいんですが、これ劇場で観てたらこちらも釣られて吸いたくなってたまらなかったろうなーと思います。

「チキンとプラム」のことは知らなくて、知ったときには公開が終わっていました。それで諦めているとですね、その頃にやっと地元で上映してたんです。諦めていたものだから地元の上映にも気づかず、こうしてさらに遅れて観ているわけですが、スクリーンの大きさこそさほどの差はないとは言え、映画は映画館で観るのがいいにきまっています。音も全然違います。でもホームシアターでは煙草を吸いながら観ることができます。これはこれで棄てがたいのであります。

主演は「潜水服は蝶の夢を見る」のマチュー・アマルリック。俳優としてだけではなく、監督でも才能を発揮しておられます。
この人の髭と目つきを見ていたらですね、全然関係ないんですがヤン・シュヴァンクマイエルの短編アニメ「男のゲーム」を思い出してしまいましてですね、シリアスな話なのにとてもコミカルに感じるところもありました。いえ、よく見たらぜんぜん似ていないんですけどね。何で思い出したんだろう。

マチュー・アマルリックよりも、「チキンとプラム」は映画そのものがヤン・シュヴァンクマイエル作品とちょっと似た感じかもしれません。幻想的なところや、人間がアニメのコマのような動きをするところとか、なんとなく、ちょっとだけですけど。そういえばヒロインの感じとかが「サヴァイヴィング ライフ」と似ているような気もしますが、まあそれはちょっと言いすぎかな。

大人になった娘リリを演じたキアラ・マストロヤンニは「ペルセポリス」でマルジの声を演じていました。カトリーヌ・ドヌーヴとマルチェロ・マストロヤンニの間に生まれたサラブレッド子です。

というわけで「チキンとプラム」、ストーリーは、幻想的でコミカルでロマンティックないろいろな断片を見せながら進行し、徐々にミステリーのように「原因」をえぐり出す構成になっています。
いろいろなことがわかってくる後半には悲しみや哀れさを強く感じてしまうでしょう。

追記。

原作の「鶏のプラム煮」では、壊れた楽器はバイオリンではなくてタールというイランの伝統弦楽器のようです。
より普遍的な内容にするために映画ではバイオリンに変更したんでしょうね。でもそれによって伝統的音楽が登場しない映画になってしまいました。ほんのわずかに感じさせる部分がある程度です。
これに関しては甚だ残念。伝統的楽器と伝統的音楽をフル活用して作って欲しかったですねえ。

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