廉価版が500円で売っていた。なんてこったい安すぎるぜ。
ムルナウの「ノスフェラトゥ」は初めて観ました。もちろんヘルツォークの「ノスフェラトゥ」が大好きでそのオリジナルが確認したかったために観たのであります。
ヘルツォーク監督による「ノスフェラトゥ」の美しさがどこまでオリジナルなのか、どういう部分がリメイクされているのか、そこんところに興味があります。
1922年の映画でして、映像の雰囲気がとてもよろしいです。もう懐かしくって。いえ1922年にいたわけではないんですが、好んで古いフィルムを観ていたこともあって、この頃の映画には強い郷愁を感じます。
このオリジナル版ならではの価値はなんと言っても1922年の映画だからこその古いフィルム映像の美しさです。20年代ってのはこうでなくちゃという芸術のひとつの到達点、何もかもが美しいです。何もかもが懐かしいです。フィルムに魔法を感じます。うっとりします。
さて、ヘルツォークの「ノスフェラトゥ」がわりと忠実なリメイクだったということが改めてわかります。話の大筋はオチ以外そのままだし、細かい部分も再現しているところが多くあります。旅のシーンやノスフェラトゥが一人で棺を運んでいるシーン、斡旋業の変なやつとかクライマックスの吸血シーンにおける構図などいろいろ忠実であります。
いろんな美しいシーンがオリジナルの再現であると確認できた部分もいくつかあり、オリジナル作品の凄みというものを感じずにおれません。
オリジナルとリメイクでは、ある部分に違いがあります。例えばストーリー上、ノスフェラトゥと病原菌の関係についての描き方が随分異なります。オリジナルでは、ノスフェラトゥの吸血と謎の疫病が一体化しているというか、暗に吸血絡みの伝染病みたいな扱いとしているに対して、ヘルツォーク版は明確にペストであります。そもそものドラキュラ伝説が伝染病の恐怖みたいなところから発生している経緯を考えると、この微妙な表現の違いは興味深いものに感じます。
この疫病に関する描写の違いによって、ヘルツォーク版「ノスフェラトゥ」での最も特徴的なシーン、即ちペストによって滅び行く街で絶望の躁状態にある人々の狂騒シーンこそが、まさにヘルツォーク版ならではのオリジナリティあるシーンであるとわかります。これは収穫でした。
映画史に燦然と輝き記録されるあの教会前広場のシーンがヘルツォークオリジナルと確認できただけでめっけものです。
「ノスフェラトゥ」が「吸血鬼ノスフェラトゥ」の忠実なリメイクであると知ってから何十年も経ち、やっと確認することができて私は嬉しいです。しかし500円て。。
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