桐島、部活やめるってよ

桐島、部活やめるってよ
高校生たちの群像劇風青春映画。桐島という男が部活をやめるというただそれだけのことが狭い世界で生きる高校生たちには大事件。桐島と近い位置にある友人から遠い位置にいる映画部員にまで、その影響が駆け抜けます。
桐島、部活やめるってよ

放っておいても何か評判らしいものが聞こえてきて、その中に「ハネケ」とかそんな名前が含まれていたもんだからすっかりだまされまして、この映画を誤解して勘違いしていました。でもそのおかげでずいぶん楽しめました。

勘違いしたのに楽しめた?どういうことかというと、こういうことです。

この映画は、ちょっと技巧を凝らした面白さがあって、その一つは姿を現さない桐島という男についてのミステリー的期待です。もうひとつは同じ出来事を別の視点で繰り返し描く「エレファント」の構成ですね。最終的にこの繰り返しは全部がそうではないのですが、観ているときにはわかりません。そのまま「エレファントだな」と受け取ります。

この序盤の「エレファント」構成と、桐島に関するミステリー期待のせいで、観ているこちらはあらぬ空想を始めることになります。
エレファント」も「明日、君がいない」も、どちらも最後には大きな事件が待ち構えています。言い方は悪いですが最後のカタルシスを堪能できるタイプの作品です。
ですので当然「桐島、部活やめるってよ」も最後のカタルシスを予感することになります。きっと何か大事件が起きるに違いない、と。
そしておまけに、誰が言ったか忘れたけど「ハネケ」の一言が耳に入っていたせいで、これは凄まじい破壊力の、耐えがたき辛さと苦しみが含まれる、残虐でおぞましい破滅的ラストを迎えるに違いない、と、確信に近い妄想を抱くことになってしまいました。こういう誤解と勘違いが発生したわけです。

そうなると、淡々とした学園ドラマが俄然生き生きしてきます。終盤の悪夢への期待が、普通のシーンに対する集中力を高めるわけです。すべてのシーンが何かしら伏線になっているに違いないと思うものだから、食い入るように見つめ、緊張感と共に凝視する羽目になります。だから観ている間中ドキドキそわそわしっぱなしで、そのおかげで結果的にものすごく楽しめたというわけですね。なんか変ですけどそうなんです。

誤解のないように言っときますけど、どこの誰が言ったのか知らないけどハネケを連想するような要素はないですよ。まったく何の共通点もありませんのでお気をつけを。

さて、誤解と勘違いしたことによってこの映画をとても楽しめたわけですが、誤解は誤解です。で、最後まで観て誤解であると言うことが判明してそれで「なーんだ」ってがっかりしたのかというと、これがそうではなく、やっぱり面白かったんですね。

どういうことかというと、こういうことです。

この映画にはちゃんとそれなりのカタルシスが用意されていました。事件への期待が肩すかしを食らうということはなかったわけです。
あのラスト近くの盛り上がりはまさに「天晴れ」です。想像していた残酷さはありませんが、いや、ある種の残酷はありましたね、そうなんです、あのシーンのあのネタのおかげで、ちっとも「なーんだ」ってなりません。いやこれはなかなかいいですよ。勘違いしていても別の意味で期待に応えてくれましたからね。面白いことが起きました。

ということで、勘違いだったのにがっかりせず、ちょっとしたクライマックスでも満足できて、嫌味も感じない良作だな、と思ったわけですね。
それにはさらに理由があります。それはどういうことか、こういうことです。

映画部だからです。
映画を撮る映画には好感を持って接します。これにつきます。もし映画ネタでなければ、面白くも何ともないと感じたかもしれません。

この映画、高校生の小さな世界におけるカースト制度みたいなものをベースに描いています。人気スポーツ部のキャプテン、その他人気スポーツ部、部活をやらないちょっと不良っぽいイケメン、そして文化系クラブ、その中でも最下層のオタク集団映画部です。この上下関係は、昔よりも今時のほうがより明確なんでしょうか?わかりませんけど、まあ昔からある構図です。
こういう世界を描きますが、そんなものはどうでもいいので、やっぱり映画部であったというところが、映画として成功した部分です。映画への愛があるからこそちゃんとカタルシスを感じるわけですし、映画として面白いと感じたわけです。

そういえば昔なら野球部がカッコいいモテモテクラブの代表格だったこともありますが、今時はそうではないようで、そこも面白いところでした。
野球部ってのはスポーツ部の中では最下層に位置するんでしょうか。なんかそんな扱いだったです。
この映画を観た人は全員同じことを感じると思いますが、すべての登場人物の中で、あの野球部のキャプテンだけは最高のキャラクターでした。あいつ、良すぎました。時代錯誤感といい、一人のときはちゃんと根性をやっている姿といい、ぼさーっとしているところといい、言葉遣いが丁寧なところといい、ほんとによく出来たキャラクターで、演じてる彼の雰囲気も役にぴったりです。これに関しては絶賛を惜しみません。

演出に文句はあまりありませんがひとつだけあります。
これもあの、誤解と勘違いのせいかもしれませんが、最後のほうの屋上の少年がですね、飛び降り自殺したようにしか見えなかったんですね。「よし、飛んだー」て思いました。それで、それを目撃した子たちがわーって走って屋上に行きます。
こちらは「来たぞ来たぞ」とわくわくしっぱなしです。でも誰も死んでません。あれは不思議でした。
もちろん、飛び降り自殺ではなかったわけですが、あそこで飛び降りと勘違いさせるっていう演出はわざとですか?どうなんでしょう。私がちゃんと見れてないだけですか。何か、狙ってたようにも思えるんですけどねえ。わかりません。

あともうちょっとだけ。
ずっと淡々とリアリズム描写が続くこの映画、最後の最後に青臭いドラマがほんのちょっと余計に継ぎ足されてしまいます。ほんのちょっとなんですが、あれで一気に醒めてしまい、惜しいっ、実に惜しいっ、と思ってしまいました。ほんとにわずかのことなんですけどね。

あとエンドクレジットで唐突にお歌が流れるところとか、やっぱり違和感あります。日本映画ならではのがっかり感というか。でもああいうタイアップってスペイン映画にもよくありますから仕方ありませんね。そういえば最後まで観てて、ハネケっていうのがデマだとわかってからも尚、ハネケっぽさに期待を持っていまして、だからエンドクレジットはきっと無音に違いないとか、まだ勘違いし続けていた哀れな私ってのもあります。

出てくる子たちはみんな良い子で不良もいませんしたばこも吸いません。学内だけに夢中な点でも高校生たちは中学生に見えますが、もちろんそれは私がおっさんだからでしょう。

と、そんな感じの「桐島、部活やめるってよ」、全体的にはいい映画でした。「身の丈」という映画内でも「半径1メートル」というふうに語られていたそういうものをこの映画自体に感じまして、日本映画のひとつのあり方を示していると受け取れます。身の丈映画でちゃんと力が込められることは重要です。

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