トム・ティクヴァは「ラン・ローラ・ラン」の大ヒット以来、日本でも知らぬ人はいませんが、この「プリンセス・アンド・ウォリアー」は日本で劇場未公開だったんですね。
「パフューム」が凄すぎてひっくり返ったにもかかわらずあまり作品を観ていなかったので、前に感想を書いた最初の作品「マリアの受難」に続いて本作「プリンセス・アンド・ウォリアー」を観てみたのです。
本編の主人公フランカ・ポテンテ演じるところのシシィは精神病院の看護婦です。根は真面目そうですが、冒頭の彼女の仕事ぶりを拝見している限り、どっちが患者か看護婦かわからないほどのやや 狂 個性的な女性です。患者と氷を使ったナイン・ハーフプレイに高じていたり、性処理を施したりしております。しれーっとこういう仕事をしているあたりの描き方がとてもよいです。大袈裟にもセンセーショナルにも描かず淡々と描写しますから、普通に「そんなものか」と観ているものに思わせます。
同時にシシィの少女っぷりも大いに発揮されます。親友からの手紙を嬉しそうに受け取り、でもすぐには封を切りません。大事なものを溜めておくんです。同僚に「まだ手紙あけてないの?」とか言われてにんまりしたりします。
「マリアの受難」もそうでしたが、トム・ティクヴァはトムというぐらいですから男ですよね。でもなんか、まるで女流監督みたいです。繊細なる女性心理の描写に長けているように思います。映画部の奥様もそう言っていたので気のせいではありません。
こうした細やかな女性的なる心理状態が、この映画の基本であります。
シシィは精神病院の看護婦ですが、ちょっとした驚くような設定が後半に明らかにされます。彼女の狂っているようなピュアなような複雑かつ単純な乙女の心理の根っこが垣間見れるよい脚本です。この、後半明らかにされる彼女の素性を聞いて、われわれは完全に監督の手玉に取られます。つまり、えーと、この映画を観た人にしかわからない話ですが「で、それは誰?」って思うんですよね。だからあれを聞いてしまったあとは、我々は病院内で誰か登場人物が映る度に「あんたなのか?あんたがそうなのか?」なんて思ってしまうわけです。面白い体験です。
ピュアであり狂人でもあり存在の不確定さに悩むでもなく悩んでいたり変化を求めていたりするこの王女様であるところのシシィが、明確ではないながらも心で求めていたのは、当然ながら白馬の王子様であり自分を連れ出してくれる幻の戦士であります。
戦士としてシシィに認識される男は兄弟で丘の上に住む不思議な男ボドです。ベンノ・フユルマンが演じています。男前です。
シシィが変な人であるのと同様、このボドという男も変な人です。すぐ泣きます。
何かにつけて涙を流すというこの男の設定がラテン文学的でたいへんよろしいです。元軍人のチンピラですが心優しく、葬儀屋のバイトをしてはもらい泣きをし、人の命を助けては涙を流します。彼の設定はまあまあよくある話ですが過去のある出来事によってとても傷ついている人です。
王女と戦士が出会うのは交通事故です。それまでの映画の流れからちょっと予想しにくい急展開に出くわし、観ている我々も度肝を抜かれますが真の本編はここから始まると言っても過言ではありません。
トム・ティクヴァの才能が惜しげもなく押し寄せる作品です。展開は面白いし構図はかっこいいし当たり前のシーンですらドキドキそわそわするし、かなりいいです。基本、好きなテイストであるところのシュール系ファンタジーです。「ブリキの太鼓」や「ブラジル」なんかに通じる広角系幻想文学系世界を感じ取れます。
ストーリー全体のうねりは予定調和から完全に離れたりあるいは予定調和が過ぎたりします。そして細部の素晴らしいシーンこそが特徴的で、それはデビュー作「マリアの受難」でもはっきり見て取れます。シリアスとコミカルの配合具合が絶妙でハイセンス。
たとえば「マリアの受難」でのラストシーンもそうですし、本作では最後にお兄ちゃんがバスの運転をするシーンなんかに現れています。シリアスな部分とセットでコミカルで幻想的なシーンを効果的に持って来ます。ただのファンタジーじゃなくてそこに垣間見れる優しい感じがなんともいい味を出してます。
「プリンセス・アンド・ウォリアー」というこのファンタジックなタイトルが何故つけられたのか、それは最後まで見終わって、さらに映画全体を反芻することによりおぼろげながら見えてくることでしょう。
まったくもってファンタジーなのです。あるいは、ファンタジーである物語を、精神病院看護婦と犯罪者に見立てた物語です。
この作品をクライムサスペンスみたいなつもりで観ていると、警察の捜査のいい加減さや、銀行の嘘くさい間取りなどに違和感を感じるはずです。そういう部分、みなファンタジックに仕上げてるんです。警察のしつこい捜査なんかどうでもいいんです。
シシィの同僚が「警察は捜査を諦めたわ」なんてセリフを言って、観ているこちらはずっこけますが、そういう部分は適当に流して、でも池に飛び込んで濡れたままでは逃亡しにくいだろうから、それはちゃんと乾かせるような段取りをつけるといった、何が大事で何が大事じゃないかという脚本の取捨選択が実におもしろいのです。この取捨選択が、映画全編に貫かれており、結果として非常にファンタジックな印象を残すのですね。
監督の演出手腕も確かなものです。
この監督にかかれば、どんな普通の話も幻想的な作品に仕立て上げることでしょう。のちの「パフューム」の成功も大いにうなずけました。