西部劇は子供の頃好きでしたが、ジャンルそのものが謎でした。西部劇とマカロニ・ウェスタンの違いもよくわかっていませんでした。でもとにかく名作や変なのも含めていろいろ観たものです。ただしこの「殺しが静かにやってくる」は初めて観ました。
マカロニ・ウェスタンはその言葉自体も流行したので特別に子供心に刻まれておりましたが、ちょっと大きくなってから冷静に考えると「なぜイタリア映画なのに西部劇なんだろう」と不思議でした。今でも不思議です。マカロニ・ウェスタンの出鱈目ぶりや残虐描写から、のちのイタリアン・ホラーに繋がったのかななんて思ったりしますが真相は知りません。
「殺しが静かにやってくる」は傑作として語り継がれております。語り継がれている理由は「とんでもない話」だからです。実際、とんでもないです。これ、ひどいです。衝撃です。衝撃度合いは「ファニーゲーム」や「片腕ドラゴン対空飛ぶギロチン」に匹敵します。よくわからないでしょうがとにかくこれほどやらかしてくれる映画も珍しいです。
しかしその衝撃だけが傑作の理由ではありません。中身も良いんです。
ジャル=ルイ・トランティニャンが寡黙なヒーロー、サイレンスです。このサイレンスという男、誰よりも早撃ちの名人です。なぜ寡黙かというと、実際声帯を切られて口がきけません。口のきけない早撃ちガンマンです。かっこいいです。
クラウス・キンスキーが凄腕の賞金稼ぎです。ものすごく現代的なキャラクターです。厭らしく賢いのです。クラウス・キンスキーは「ノスフェラトゥ」で初めて観たときすでに大物俳優としての貫禄だったし、そのように紹介されていましたのでよく知らぬまま「大物俳優なんだな」と納得していましたが実は西部劇の時代に大活躍していたんですね。
舞台が変わっています。西部劇なのに一面雪景色です。ずっと雪です。寒いです。舞台となる街はスノー・ヒルです。雪の中を一所懸命馬が走ります。
舞台設定が変わっています。「賞金稼ぎ」という西部劇でお馴染みのキャラクターにリアルな設定を与えています。賞金稼ぎのための殺人なんかやめて、犯罪者には正当な裁判を受けさせるよう新しい法律がありまして、国的にはこれを勧めてます。法治国家にしていこうとする動きですね。その中でのいざこざを描きます。
日本に当てはめると「仇討ち禁止令」が発令された前後の仇討ち物語といった風情でしょうか。
映画全体の雰囲気や脇がとてもよいです。
登場人物は他にとてもいい味わいの保安官や、美しすぎる未亡人、人のよい町の人や娼婦たち、独特の雰囲気を持った夜盗の軍団なんかがいます。どの人たちもいい感じです。
主演の二人の名優もすばらしいし、ストーリーの衝撃度合いもすごいですが、脇の人物たちの「いい感じ」は何物にも代えがたいほどの魅力です。
あまり細々と中身を紹介しませんが、とにかく面白かったとしかいえません。すごかったとしかいえません。大好物としかいえません。
2013年元旦に観るにふさわしい、最高の名作でありました。
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