「選挙」「精神」そして番外編「Peace」の次は、劇団「青年団」と平田オリザ氏です。ずっと撮っていたそうで、そんでもってずっと編集していたそうです。
その結果「演劇1」と「演劇2」の二本組み6時間弱の大作となりました。ひとつの劇団を追ったドキュメンタリーでこの長尺では観客の敷居も高くなることが予想されますが、でもこうなりました。もともと想田監督の編集能力を高く評価しておりますので、監督がこの長さが必要だと思ったんだったらそれはもう、どうしても必要な物だったんでしょう。
演劇に興味ありませんでした
さて、自分はどういうわけか舞台演劇に興味がなく苦手で、興味がなく苦手なことに興味があったので「演劇」を観ました。
小説は好きだけど詩が苦手とか、ほとんどの映画は好きだけどちょっとミュージカルが苦手とか、ファンタジーは好きだけどティム・バートンが苦手とかそういう類いです。
バンドマンで芸術家の自分としては、演劇や芝居や舞踏には興味を持たねばならないと強迫神経症的に思って努力をしたこともあります。芝居関係者のバーで働いたり、積極的に観たりもしましたが、やはり演劇好きにはなりませんでした。詩が苦手なときも、必死に詩集を読みあさったりしたこともありますがあれと同じです。理由がわからぬまま、やはり最終的にはピンとこないので、いつしかもう諦めてしまいました。
というわけで世にも珍しい(のかどうなのか)演劇にあまりのめり込めなかった人間が見る「演劇」です。自分が演劇に興味がないのがなぜなのか、その一端が垣間見れるかもしれないという淡い期待もありますが、そんなことより演劇に興味がない人間として「演劇」をどう見るのかに大きな興味がありました。
そんなわけで「演劇1」ですが、一言でいいますならば、入門編として最適です。
平田オリザ氏や青年団を多方面から描き、鬼気迫るリハーサル風景から本番の興奮まで、人物や劇団を丹念に紹介していて、入門編としてもとてもわかりやすいのです。
演劇に興味がなく、平田オリザ氏の名前も聞きかじった程度にしか知らない人間として、新鮮な面白味に満ちていました。
演出シーンや理論についての講演や練習風景、舞台セットの組み立てから面接や事務仕事まで、いわば「はたらくおじさん」演劇編として見るところも多く、3時間近い長尺があっという間です。何も知らない人間が見はじめて、映画が終わる頃には「今まで何も知らなかった」ことすら忘れてしまいそうな、言わば「ずっと前からオリザ氏や青年団を知っていて、その舞台裏をたっぷり堪能できて満足の演劇好きの人」みたいな気にすらなります。おもしろいことです。
これは、ドキュメンタリー映画としての基礎的な技術力の成果だと思います。まるで無知な人間にさえ内容を「伝え・理解させる」ということができています。
繰り返しの面白さ
演出シーンで繰り返されるリハーサルシーンの迫力は見物です。同じシーンを何度も繰り返します。同じセリフを再現し続けます。鬼気迫ります。
音楽にしても文学にしても、この繰り返しという技が生理的に大好きなのでハマりました。
自分がなぜ舞台劇が苦手なのか、理由のひとつは劇団員のある種の必死さだったりします。役になりきるタイプの演技や、根性主義や精神論がまかり通る世界と申しましょうか、しかし「演劇1」を観て「ある種」と思っていたことが「別のある種」にちょっとイメージ変わりました。
技術職としての役者という視点を今更ながら発見できたことが収穫
つまり職人としての役者の姿をたっぷり拝見できたことです。とてもクールなんです。
最初は繰り返しシーンを「辛そうだ」と思っていたのですが、技術職はそういうものではないと判るようになります。
何度も繰り返し練習することでセリフが体に染み込んだりするようです。体に染み込むということはそれは職人と同じです。
役を演じるのが役者の仕事であり、役を演じるために獲得する技術の一つは半ば自動化による役への同化であり、それを得るための繰り返し練習であるというわけです。
延々と絵の具を擦りつけているだけの職人絵描きの自分も基本同じことをやってるんだと理解できました。
ていうか演劇について何も知らないので的外れなこと言ってますかどうですか。わかりません。判りませんので次行きます。
社会
はたらくおじさん演劇編的ドキュメンタリー映画にとどまらず、随所に気になるカットがあり、これは明らかに「2」の伏線となるであろうという、そういう作りだった気がします。
どういう部分かというと、社会的な事柄に関する部分です。
社会的というとちょっと変ですが、つまり青年団の運用や金銭面、売り込み方法やオリザ氏の自らの立場を演じている風な箇所です。
こうした実務的な部分は、社会の中での演劇、というか国における文化の有り様を密かに突いているように感じます。
観察映画「演劇」は、演劇だけを描いているのではないという確信です。
純粋ピュアに受け取ると若干攻撃的で厭らしいとさえ思えるようないくつかの平田オリザ氏の言葉があり、その都度ぴくっとなりました。例えば「アーティストとして成功するには?」「才能だな」とか、面接シーンでの「安いアルバイトだけど、ここにいたという実績になるよ」とか、そういった部分です。
アーティストとして成功するには才能だけではなく営業力や政治力こそが必要だし、「やりがい搾取」とも取れる劇団員のやりがいや善意に頼った安価な人件費の問題こそ、「演劇」ひいては「文化・芸術」と国の政策との関係を示唆するものであります。
平田オリザ氏の放つきつい言葉の奥には、「甘くねえんだよ」的な居直った姿勢と罪の意識、そうしないと演劇活動などできないという現実の問題意識が垣間見れます。
「演劇1」の最後は心温まるエピソードで締められます。練習を重ねてきた芝居の本番、そしてもうひとつの少年少女たちが演劇によって得た高揚です。
しかし、映画的に心地よいこの終盤の良いエピソードに惑わされることなく、見終わったあとのもやもや感は半端じゃありませんでした。
幾つもの重要な言葉は「1」では追求せず、ちょっと臭わせておいて放置しております。
演出シーンをメインに据えていまして、それからいい話も持ってきます。あーおもしろかったー、と思える作品であることは確かですが、でも芸術活動や社会・政治と文化についてのもやもやが、残る人には残ります。これは編集の妙技だと強く感じました。一刻も早く2を観たいところですので明日観ます(追記:翌日観ました)
編集の妙技と言えば、ちょっと観客を驚かす小技が3回出てきます。2回目の床屋シーンで使われるあれがとくに好き。
超緊張と超緩和。ノイズの少ないよい音響設備の映画館ではさらに効果は倍。どん。
柏木のご両親もちらっと映っていたりして、最後のほうのエピソードもいい感じだし、劇団やオリザ氏についても初心者コースの丁寧なチュートリアル付きで、一見敷居が高そうだけど全然普通の人にもどうぞ、ていう作品です。
苦手系だった舞踏や演劇など舞台芸術ですが、最近観たピナ・バウシュ物二本「pina」「夢の教室」と「演劇」には共通する魅力もあって、ピーマンをおいしいと初めて感じた子供のようにちょっと成長した気がしましたが、あれ?昨日も「ピーマンを克服した子供」と、何かの例えに書いたような気がしますが、まいいか。
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