2009年「ソウル・キッチン」が大ヒットしたとき、ファティ・アキン監督の過去の作風との違いについて述べた人が結構いました。監督のことを全然知らなかったので、あまり気に留めていなかったんですが「そういえば」と思いついてこの「そして、私たちは愛に帰る」を観てみました。
いやあ、知らないことっていいですね。はじめて知って大喜びです。
ところで、ものを作る人ってのは「三部作」がお好きなようでして、この「そして、私たちは愛に帰る」も、監督が企画中の「愛、死、悪」に関する三部作の二作目だそうです。一作目は「愛より強く」で三作目は「ソウル・キッチン」・・・うそです。三作目はまだありません。だから三部作とか、そういうのぶちあげるのやめといたほうがいいって。
物語
三組の親子が絡むストーリーです。章立てになっていて、各章にはショッキングなタイトルがつけられています。それは「死」です。
ドラマを普通に見ることができなくなります。「死」がつきまといます。これがまた物語を物語ることに関してとても効果的で、古風にさえ見える演出の中に現代的な技法を感じ取れます。
ある「死」をめぐる、残されたもの同士の再生の物語でもあります。
ストーリーは地味な展開のような振りをしてわりと絡み合っていまして、展開しまくりでうねっています。強引にぐいぐい推し進めるタイプとはちょっと違うんですが、観ているとぐいぐい引っ張られます。これはやっぱり監督の力業でしょうか。とてもいいです。
いらいらそわそわする「すれ違い」のシーンもたくさんあって、身悶えしたりもします。登場人物の魅力も半端じゃありません。脚本と役者さんの両方から迫ってきます。パズルのピースのように人やドラマの断片が散りばめられます。パズルのピースがぴたりはまったかどうか、ピース本人たちには自覚がなかったりします。ピースがはまったのかどうかは観ているこちらが感じ取ることです。そこが哀れでもあり深みでもありこの映画の魅力でもあります。
予告編について
ですので私はこの映画の予告編の編集に文句があります(さっきはじめて公式の予告編を見てみた。これはひどい)
この映画にかかわらず、やや文芸よりというか、ヒューマン・ドラマっていうんですか、それ系の予告編にとてもありがちなのですが、ストーリーを完全になぞっています。
「こうなります、こうなります、こうなります、こういう感動です、そしてこうです」順番に、大事なシーンを映しながらストーリーを紹介しています。
あのね、予告編は「要約」じゃないっての。もうちょっと映画を見る人の楽しみを残しといてあげましょうよ。
ヒューマンドラマっていうんですか、こういうジャンルを好む人って馬鹿ばかりと思われてますよ。「全部ストーリーを教えてあげて、どこで泣くとか、どこで感動するとか、教えてあげないと見てくれないんですよ〜あはは」という声が聞こえてきそうです。ひどいですね。予告編反対。予告編は冒頭数分でいいです。
というわけで「そして、私たちは愛に帰る」は冒頭近く、年老いた父親が娼婦の元に出向くシーンでもう「気に入った!名作の予感!」状態だったので、それだけで十分です。
全体にはストーリーのうねりっていうのが大事だと私は思っていますので具体的な内容紹介はこれ以上はやめておきます。
ファティ・アキン
ファティ・アキンは73年生まれのトルコ系ドイツ人で、父親は出稼ぎでドイツにやってきて絨毯を洗浄する仕事に従事していたそうです。
学校でバンド活動をしていたりしつつ映画監督になる夢を抱き、アマチュア俳優として出演したり8mmで自主製作などを始めたという、そういう経歴だそうですね。
決して裕福でもなさそうだし血統の家系でもないし、バンドやったり役者やったりして、下手すればルーザーへの道まっしぐら(そう、私たちのように)ですが、才能と努力と営業力で若いうちに映画プロダクションで働き始め、働きながら芸術を学び、短編映画を完成させたりしています。
ここらから私たちルーザー世界の住民とは異なる展開となります。98年には初監督作品でロカルノ国際映画賞で受賞したりして才能を発揮し始め、2004年には映画会社を設立し、「愛より強く」を撮ってベルリン国際映画祭金熊賞など複数の受賞で一躍注目されてます。2005年には何とカンヌに審査員として招かれるという快挙。まあすごい。天才。
「太陽に恋して」とか「愛より強く」とか、タイトルは聞いたことありましたがファティ・アキン監督作品だったんですね。これまで「ソウル・キッチン」しか知らなかったから、何か不思議です。アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンのアレクサンダー・ハッケのドキュメンタリー映画も撮ってます。バンドマンで役者で監督で移民の子で読書家で天才。うーむ。自分にとってこの人の映画がなぜ大好物系なのか何となくわかってきましたよ。
「愛するということ」
でもまだありました。
「そして、私たちは愛に帰る」の愛についての部分ですが、ただの博愛とか隣人愛ではない、何かもっと突き抜けた愛を私は感じたわけです。その理由を公式サイトで監督が語っていました。
公式サイトの監督の言葉には、自分にとってのこの大好物映画のヒントがふたつありまして、それを読んで改めて同じ種族は国境を越えるのだなあと思った次第です。
ひとつは愛についてです。「愛するということ」ですね。これはエーリッヒ・フロムの名著で、一時期フロムにかぶれていた私も大きな影響を受けました。ファティ・アキンもフロムに影響を受けたと白状しています。「正気の社会」とか「自由からの逃走」とか「悪について」なんかですね。
僕は、悪は怠惰の産物だとも信じている。人を愛するよりは、憎むほうが簡単だからね。監督の言葉 | 公式サイト
教育・読み書き
もうひとつは教育についてです。教育というか、本です。読み書きです。
MovieBooでも一時期吼えまくっていましたが[1. 例えば「プレシャス」とか「ジョニー・マッド・ドッグ」とか「ツォツィ」とか、まだ確かあったな、忘れた]、教育すなわち読み書きの能力は貧困による悪の連鎖を断ち切る最も強力な武器です。本や読み書きによって想像力を高めることは社会的弱者が犯罪者に陥らないための最低限の防衛ラインであり、また、文明人にとっては文化芸術ひいては愛に繋がるより高度な精神活動の根源でもあります。
映画の中でキーになる要素は「読書」だ。読書は教育を意味する。そして教育は世界を救える唯一のものなんだ。
監督の言葉 | 公式サイト
まったくもって同感です。
音楽
ただの真面目な文芸派ではありません。それは監督のバンド活動経歴やノイバウテンの人のドキュメント「クロッシング・ザ・ブリッジ」を見ても判るし、この後の「ソウル・キッチン」の知的軽快さを見てもわかります。
とても音楽的で、リズミカルな映像であり演出であり編集であるのです。
音楽に関わっている監督の映画はどういうわけか好物になる傾向が個人的にあります。映画だけでなく、文学でも映画レビューでも何でもそうです。リズム感が一番大事と思ってたりします。
というわけで、シャンテルのサウンドトラックも素晴らしいです。トルコ音楽のテイストを交えた多種多様の音楽の数々。
iTSでこの映画のサントラを売っていて、ついでに検索してみたらシャンテルが加わっている映画音楽には他に「ソウル・キッチン」と「ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習」がありました。どれも大好物。
右側のメニューに、広告ですがiTSのリンクありますんで、サンプル視聴でもしてみてください。「これはいい!」と思うか「何だこりゃ好きくない」と思うかはそれぞれ。
カンヌ国際映画祭最優秀脚本賞受賞。脚本賞、わかります。脚本賞に外れなし。
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