最初にカルト映画って聞いたのは「フリークス」や「ロッキー・ホラー・ショー」です。それからほどなくして「ピンク・フラミンゴ」やそれから「エル・トポ」なんかもカルト映画って言われてたように思います。個人的には「エル・トポ」なんかより「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」のほうがカルトっぽく感じてました。
でもカルト映画の定義って何だろう、と当初から疑問で。
そうなんす、カルト映画って言葉を認識した当時から「カルト映画の定義」について不信感を持っていたのです。定義のはっきりしない感覚的なカテゴライズそのものに対する不信感というか。
で、個人的にカルト映画を定義したんですね。もちろん勝手に定義できませんからいろんな人の話を聞いた上での判断ですが。
当初考えたカルト映画の定義はこうです。
1 熱狂的なファンがいる
2 その熱狂的ファンは比較的少数派である
3 公開されていないか、あるいは公開がとっくに終わっており、二番館や名画座でもなかなか観ることができない貴重な作品である
そんな感じです。
オマケとして「4.公序良俗に反する映画である」なんてのもありましたが、内容については個々によるし例外も多すぎるし、4番目については印象だけで実際の定義とは無関係という結論です。
当初はまだ家庭用ビデオが一般に普及していない時期ですから「観たくてもなかなか観ることができない」という部分はきわめて大事でした。
家庭用ビデオが完全に一般化し、ビデオ作品が次々と発売され、状況は少し変わります。発売さえしてくれればいつでも誰でも観ることができるようになりました。
あれほど恋い焦がれ憧れ警察沙汰になろうとも上映会に足を運んだ「アンダルシアの犬」だって、さくっと発売されてレンタルまでできるようになりました。
この時点で、定義3の「観ることができない」から多くの映画が外れたのでございます。「エル・トポ」をカルト映画だと思わなかったのは、あれを最初に観たのが映画館でなくビデオでだからです。輸入盤で言葉は分かりませんでしたが。
というわけで、ビデオで発売されている時点でもうカルト映画ではないのであります(当社定義による)
いや、いいんですよ、ビデオのパッケージに「幻のカルト映画がついにビデオ化!」とか書くのは。
少なくとも発売前まではカルト映画だったわけですからね。間違ってはいません。
ただね、ところがですね、ビデオがいつしかDVDになって、もうそういう時代が何十年も続いて、それでもまだ「カルト」って言うのはどうだろう、と思ったわけです。ビデオやDVDがこれほど普及したあとのカルト映画は、私の定義では「ビデオで売ってたけどDVDにはなっていない」「DVD発売したけど少部数ですぐなくなって手に入らない」「そもそもビデオにもDVDにもなっていない」と、少なくともそういうものでなければいけません。
もし未だに、DVDで簡単に観れるのに「カルト映画」と言われている映画があるとすれば、それは定義が変わってしまったか、あるいは私の定義が間違ってるかどちらかです。
というような話をバンドのメンバーとしていましたら、サックスのまひまひがとんでもないことを言い出しまして。すなわち現代のカルト映画の定義はこうだというのです。
1. 熱狂的ファンがいる
2. そのファンは多数派である
3. 有名作品でいつでもどこでも観られる
ええーっ。まじかーっ。ほんまかーっ。と、大いにビックリ。
つまり「熱狂的なファンがいる」以外は全て私が思っていた定義の逆ではありませんか。
ていうか「有名作品で多くの熱狂的ファンがいる」って、それ、ただの大ヒット映画やんけー。
まひまひが言うには、定義には続きがありまして、すなわちこうです。
4. 内容が難しいあるいは難しそうに見える
なんだそりゃー。
この定義は以前の「公序良俗に反する」に匹敵する無意味さなのでひとまず無視しておきましょう。
これはまひまひの説ではなく、どこかで読んだ定義だとのことです。ですのでまひまひに文句を言ってもだめで、むしろこの新しい定義を全く知らなかった私がただのおっさん臭いおっさんだということでありましょう。
とすればですよ。と、すればですね。
「カルト映画」なんてもうないと言えるんであります。「カルト映画とかつて言われていた」ならあり得ますが、もうカルト映画なんていうカテゴライズには何の意味もありません。
その証拠に、現在カルト映画と呼ばれている作品には「ブレードランナー」や「死霊のはらわた」や挙げ句の果てには「フルメタル・ジャケット」や「スターシップ・トゥルーパーズ」まで含まれるそうじゃありませんか。なんじゃそれは。それ、いったい何の意味があるのか。何もない。普通のヒット映画との違いは何ひとつありません。
「それがカルトなら、スターウォーズもバットマンも風と共に去りぬも全部カルトやがな。わははは」と笑ってると
「そうですよ」と答えられてしまい、それで一つの結論に達しました。
「カルト映画」は死んだ言葉。
カルト映画という言葉は、現代においては何の意味もないということがわかりました。ただ「カルト映画」と言いたいだけのやつがちょっと前の映画を取り上げて「はいカルト。これカルト」とやって遊んでるだけです。
元の意味の宗教だって、少数派の新興勢力だったから「カルト」と言われたんであって、同じように悪辣の限りを尽くしていてもカトリックをカルトとは言いませんよ。
何より気にくわないのは、あまり多くの人が見ていないマイナーな映画に注目するのではなく、大ヒットしてみんなが知っている映画ばかりに注目している点です。
昔なら「みんなは知らないが俺はこれが大好きだ」という「みんなと違う俺様」みたいなのに憧れを持つ正しい青二才が、現代では「みんなが好きな作品が大好きだ。マイナーな作品など知るか」と「みんなと同じ俺様」に価値を見いだす青二才へと変貌を遂げています。
噂には聞きますが「みんなが全て。横並びこそ生き甲斐。死ぬときは集団自殺」みたいな人間が、やはり増えているのだろうと確信を持つのであります。そんなやつばかりだから路上喫煙禁止とかみんなで被爆とか気色悪いことばかり言い合って喜んでるんです。きっとそうです。
と、ここまで考えてもうひとつ別の視点に気づきます。
つまり「映画を観る人」自体がとっくに少数派なので、その中でわーわー言っててもそのわーわーは全て少数派のマニアの戯言であるというさらに恐ろしい事実です。
「スターウォーズ」なんて、普通の世界から観れば、ただのよくわからないマニアックな変なものなのです。だからカルト映画なのです。
というか映画自体が娯楽の中のカルトであり、映画は全てカルトなのです。
したがって映画の中でさらに何点かをカルトと呼ぶことはとても馬鹿らしいことなんです。
なるほどこれで納得。か、悲しすぎる結論。