こりゃまた語呂の悪いへんてこりんな邦題が付けられた「光のほうへ」は原題「潜水艦」という、ずぶずぶ沈んでる負け組兄弟の物語。この潜水艦というのは水攻めの拷問を指しているという解説がありました。何にしろずぶずぶ沈んでいる様を連想します。「光のほうへ」の特に「ほうへ」というのが日本語のリズムとして変だし美しくないし、印象悪いので避けてたせいで、トマス・ヴィンダーヴェアの作品であるとずっと気づかずにおりました。
ラース・フォン・トリアーらとはじめた「ドグマ95」の創始者のひとりトマス・ヴィンターベアです。
私は「ディア・ウェンディ」しか見ておりませんが、トリアー脚本による「ディア・ウェンディ」は、これはもうとことん凄みのある映画でありまして、2010年の新作、いつ来るかと楽しみにしていました。日本では2011年の初夏に上映されたんですね。
冒頭は少年二人と赤ん坊からです。少年たちは兄弟のようです。お兄ちゃんは女の子のような美しさですね。赤ん坊に名前を付けようなんて言ってます。
心が荒みきった性根の腐った私はこのシーンで「少年になぶり殺される赤ん坊のシーン」が来るに違いないと思ってひやひやしていましたが、そういうこともなく、とてもかわいがっております。ああよかった。
アル中の母親の元で荒んだ暮らしのこの少年たちがすくすく育って母親に負けず劣らずの駄目人間として立派に成長します。
兄ニックと名無しの弟の物語となります。章立てのような構成の中で二人はほとんどすれ違いまして、対比を匂わせつつ「やっぱり同類か・・・」と思わせる憎い演出が光ります。
物語を物語る技術として、陳腐なドラマ風をスパイスのようにちりばめながら、締めるところはきゅっと締めます。
技法はもちろんドグマ95ではありませんが、ドグマで培ってきた底力を感じずにおれません。
MovieBoo的に特筆すべき事柄があります。
ひとつは兄ニックのゲンコツです。
イライラしたニックが、電話機を拳で殴りつけるシーンが比較的序盤にあります。
一瞬、その臭すぎる演出にすーっと引いてしまいそうになります。
くだらないドラマじゃあるまいし、いらついてモノを殴るシーンとはこりゃまたいったいどうしたことか。
と、思ったのも束の間、これがですね、してやられます。電話機を殴ったために怪我をして、その怪我が痛いんです。しかもいつまでもいつまでも治りません。思いっきり引きずります。いやもう、これは快挙。これは新しい。
いらついてモノを殴るという三流ドラマ風のくっさい演出を逆手に取った憎たらしいまでの脚本です。
もうひとつはニックの友だちイヴァンです。このちょっと頭のおかしい友だちがとてもよろしいです。とことんリアル、立ち位置も絶妙、単純な図式のようでとても深い部分を持っております。イヴァンの存在がこの映画の価値をうんと高めてくれます。
エンディング直前に涙ぼーっの状態を経て、映画は終わるが物語はまだ続くのさという、少しの希望を垣間見せたりしながら余韻を伴ってエンドクレジットへと移ります。
若干の臭さとその臭さの寸止め具合、リアリズムと技巧の両立、何というか、バランスがすごく絶妙です。その中で描かれる物語もいいし、ただ単に少年時代に囚われているだけではない大人的人物描写もかなり見事。子供時代のトラウマモノって、そればかりに囚われていて「大人の人生としてそれしかないんかい」と思わせるよう単純なのが多い中、この「光のほうへ」はちゃんと「大人の人生」を見せてくれます。
「ディア・ウェンディ」のような、身が一つ突き抜けるような怪作ではありませんが、じっくり見せるよいドラマです。実力のほどがうかがえます。