バビロンの陽光

ابن بابل
2003年、フセイン政権崩壊直後のイラクで旅する祖母と孫。戦地から戻らない息子を僅かな手がかりで探す女性イブラヒムと、顔も知らない父が残した笛を手にする少年アーメッドは、ヒッチハイクをし、バスを乗り継ぎ、イラクの北の果てから南の果てまで旅します。 どうぞご覧あれ。すべての人にお勧めしたい旅の物語。
バビロンの陽光

イラクです。砂漠です。フセインです。いやフセイン政権崩壊から3週間後です。
祖母と孫が歩いております。孫は笛を吹いています。祖母は黙っています。
旅の始まりのようです。

車が通りかかります。最初はヒッチハイクがうまくいきません。祖母と孫はお互いそっけなく、旅の目的だけを頼りに仕方なしに連れ立って歩いている感じです。
「ちょっとばあちゃん、やる気ないんなら僕帰るからね!」帰ろうとします。祖母は黙ったままです。孫なんかに構っていられないって感じもします。
しかしそうも言っておれないので次のトラックを止めて無理矢理乗せて貰うことになります。最初はドライバーは鬱陶しがって割と多めの金をせびります。孫は「詐欺師!」と罵りますが祖母は黙って金を渡します。
しばらくの間、祖母と孫とドライバーの旅です。

てなわけでこんな感じで始まる旅の物語です。ただ単なる旅と違って、戦地から戻らない息子あるいは父親を探す旅だということです。つまり戦争であり戦地であり混乱でありイラクの社会情勢なわけです。

この映画はもちろん社会派映画ですが、ややこしい政治の話が中心ではありません。そういうのは目に飛び込みますが本筋は祖母と孫の旅物語で、ややこしさ0、難しさ0、押しつけがましさ0、退屈さ0、マニア度0です。超面白いです。
なんせ祖母と孫、おばあちゃんとせがれ、老人と少年です。そのふたりがですよ、コンビで旅をする物語ですからね。面白くないわけありません。

おばあちゃんと孫の旅には、常に他の誰かが関わってきたりします。

最初のヒッチハイクの運転手もそのひとりです。「ちょっとサダムに電話してくるよ」なんていうシーンも含めて、最初ちょっと厭なやつかなと思っていたらこれがまあだんだんいい味わいが見えてきます。

次の場所に行くとまた誰かと出会います。その次の場所でもやはり誰かと出会います。そして出会ったなと思ったら別れたりします。旅というのはそういうもんですね。そうした中で、おばあちゃんと孫の関係にも少し変化が起こります。

で、ですね。旅の途中で出会う人がみんな素晴らしい人間ばかりで、人の優しさに触れまくりです。あまりにも味わい深い良い人たちと出会うので、もう、そういう人たちを見ているだけで泣けてきます。この感じはあれです。「愛のひだりがわ」のようです。

「愛のひだりがわ」というのは小説で、父親を探す旅をする愛という名の少女の物語です。自由に動かない愛の左腕を庇うように、優しい誰かが現れてはひだりがわに立ち、旅のお供をするというお話です。あの感じとかなり近いです。
短いやりとりの中に、人の優しさをぎゅっと詰めたシークエンスの連続です。

「バビロンの陽光」に登場する人物は決して嘘くさくありませんし芝居じみてもいません。偽善者でもありません。ごく普通の優しい人間です。自然です。人間ってのは基本的にいいやつなんです。悪い部分も持ってますがいい部分も持ってます。 ほとんどの人がいい人部分のほうが若干多く持っているものなんです。そういうことを信じられるようになる映画です。

その分、環境の悪さが際立ちます。イラク情勢です。酷い有様です。悪い状況です。そういう悪い状況が否応なしに迫り来る舞台で、この映画は素敵な人間を描くのです。観ていれば気づきます。「悪い状況だからこそいい人を描いてるんだ」

だからこそ人の優しさをそれとなく表現しているシーンで泣けるのです。悲しいからでも大きく感動するからでもなく、自然な振る舞いに善なる人間の根っこが垣間見えるからです。ここに心動かされます。

祖母と孫は辛い旅の中にもちょっとした楽しい目的を持っています。それは古代遺跡バビロンを見ることです。夢の国バビロン。空中庭園バビロン。古代遺跡の観光地。混乱した状況下、長い旅の辛さを一時忘れさせてくれるだろう偉大な祖先の建造物。それを見に行くことを僅かな楽しみとして、祖母と孫は行方知れずの息子あるいは父親を捜し続けます。「息子あるいは父親を探して、おばあちゃんと孫の辛い旅。旅の終わりには一緒にバビロンを見ようね」という、なんか童話のような設定ですね。

童話のようなお話ですが、その中にとびきりのリアリティがあります。といいますか童話のような父親(あるいは息子)探しのこの設定、これは童話でも何でもなく、イラク国内で多く見られる現実の状況なのです。
過去数十年の間で、150万人以上が行方不明となっています。何百もある「集団墓地」から、数十万人規模の身元不明遺体が発見されています。
人間は統計の部品ではありません。何十万、何百万という行方不明者にはそれぞれ家族がいて暮らしがありました。

ただの統計上の数字ではない人の重みを「バビロンの陽光」は伝えます。この映画に登場するいい人たちは、集団墓地の名も知れぬ遺体の生きていたときの姿かもしれないのです。そういうことを実感を伴って感じ取れるような優れた出来映えになっています。

今日どこかで見つかる遺体はあなたや私の家族かもしれないのです。1万人にひとり死ぬぐらいだから平気だよなどと人の道に外れた発言を目にすることがある今日この頃、1万人にひとりなら死んでいいのか。一千万都市だと1000人死んでいいのか。その選ばれた1000人にはあなたや私と同じように人生もあれば家族もあるのだ。と、そういうこともついでに思ってしまうぐらいの、虚構から現実への影響力すらあります。3月11日にこの映画に出会えたことは収穫でした。またちょっと話がずれたか。

「バビロンの陽光」公式サイトにモハメド・アルダラジー監督のインタビューがあります。DVDにも付録映像で監督インタビューがあります。映画を見終わった人は、このインタビューも是非見ておいてください。まあ最初見たときは「その髪・・・」とか「丸顔・・・」とか思いますが、そんなことはどうでもよろしい。この監督、えらいです。強い目的意識でこの映画を完成させました。映画の持つ根源的な目的や力のひとつを再確認させてくれます。

「バビロンの陽光」は、世界中の人間が見るべき大事な映画のひとつだと思います。とりわけ、イラクに対する攻撃で加害者の位置にいると言っていい我々日本人にはこの現実と対峙する義務があります。ええそうです。義務です。でも大丈夫、しつこく言ったように、この映画は虚構としても素晴らしい出来映えです。社会派映画なんか厭だよー、とか思ってるような人や、映画慣れしていない人にこそお勧めしたいしお勧めできる作品です。

無駄がなくくどくない演出、広がる景色、美しい歌声。辛い現実、いい人たち。悪の塊でブラック人間で映画マゾの私がお勧めするのもなんですが、ほんとによかったですこの映画は。

モハメド・アルダラジー監督はこの映画のあと、遺体の身元確認を促進する「イラク・ミッシング・キャンペーン」を発足させました。

2010年のベルリン国際映画祭でアムネスティ国際映画賞と平和映画賞を受賞。
2010年度アカデミー賞外国語映画賞イラク代表作品。

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コメント - “バビロンの陽光” への3件の返信

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