核時代の1957年、嵐の夜に宇宙の彼方から鉄の巨人が地球にやってきます。やってきたはいいが落下の衝撃で記憶をなくし、自分が何のためのどういうロボットか判りません。そんな巨大ロボットに出会うのはひとりの少年でありまして、なんだかんだとお友達になっていきます。
優しく暖かい気持ちに染まる「少年とロボット:仲良し編」をたっぷり楽しんだあとは、ロボットの秘密が明らかになってきたりして、ドキドキ展開になってきたりします。
1999年に作られた評判のアニメ映画です。作った人はブラッド・バード監督。後に「Mr.インクレディブル」や「レミーのおいしいレストラン」を作った才人です。[追]そのまた後には「ミッション・イン・ポッシブル/ゴースト・プロトコル」を監督した人でもあります。
「アイアン・ジャイアント」はディズニーでもピクサーでもなくワーナー映画でして、当時興行的にはあまり振るわなかったそうです。ですがどういうわけかこのアニメで感涙する大きな子供たちが続出。「名作」「名作」との声が次第に大きくなり、その声に釣られて初めて観て、最後は号泣してやっぱり「名作」「名作」と声高に吹聴しまくる人が続出、言わば感動のネズミ講状態が発生しまして、いつの間にか知らぬ者がいないアニメ映画の名作ということになってしまいました。
なってしまいました、なんて書いてますが、そんなわけで私も釣られて観たわけですが、初見が公開11年後ということで、これはあまりにも遅すぎるし、今更「感動したっ」ってわざわざ言うこともあるまいし、だいたいアニメファンが「名作」「名作」言うタイトルにさほど名作なんかないし、夫婦で並んで観たのですが奥様なんか途中で寝てるし、こりゃいったいどうしたことだ、と、ラストシーンを経て頬を涙で濡らしながら「ええ話やぁ」とひとり頷いておったわけですね。
翌日には、観ながら寝ていた奥様が悔しがって「しょうがない、もう一回ひとりで観るわ」と、ひとりでもう一度観て、やっぱり最後はつーっと涙を流しながら「ええ話や」と頷いておりました。
というわけで、どういうことかといいますと、ええ話なのであります。
特に意表を突くわけでもなく、オーソドックスの中のオーソドックス。少年とロボットが出会って仲良くなってそして別れます。やや教育的な臭みのある部分もありますが、そのあまりにもオーソドックスな展開を、ノスタルジーを感じる美しい絵柄で描くことによる素直さがいいんでしょうね。昭和のアニメを見て育った大きな子供たちは基本的に未成熟の発育不良人間ですから、未だ昭和アニメの影響から抜け出せぬまま、子供向けの素直な物語に触れて感動して泣いたりするわけです。
ブラッド・バード監督の演出力の勝利です。シナリオもいいですが、後半の今風展開(と言っても10年以上前の今風)とか、わりとあまり好きなタイプの物語じゃないので、そういうのを覆うほどのやっぱり演出の力だなあと思うわけです。後のピクサー作品での素晴らしい作品を見ても判るとおりです。13歳までに制作したアニメ作品がディズニー・スタジオの目に止まったという経歴の持ち主、やっぱり天才なんですね。何事も天才がすごいです(なんだそりゃ)
「アイアン・ジャイアント」は未だにじわりじわりと高評価を受け続け、すっかり定番の名作アニメになりました。わかりやすさと適度な美しさ、ノスタルジーと自己犠牲、出会いと友情と別れ、戦争と平和、多くの人が気に入るだろう要素が天こ盛りです。個人的にはええ話やなぁとは思いますが並み居る名作アニメの中でこれが特別かと言えばどうかな、と、いや、そのへんは単に好みの問題でして。泣いたけど。
制作総指揮にザ・フーのピート・タウンゼンドの名があります。
長く放置していた下書き消化月間です。
さて1957年っていう設定はもちろん核競争激化の恐怖の核時代を表しています。核兵器やそれに付随する発電やなんかの技術は、こういうノスタルジー系の作品に触れてもわかるとおり、60年代までに終わりを迎えている過去の古くさい技術です。
40年代50年代って、未来を夢見ておかしな発明品や変な機械が沢山生まれました。全自動入浴装置とか運転席が真ん中の車とかですね。へんてこなSF的発明品に満ちています。大抵はあまりのばからしさに消えていったものたちですが、核による発電なんてのはその中でも最たる馬鹿らしさです。ほんとなら今頃、懐かしいなあ、あんな阿保みたいなもの、よくまあ作って動かしていたよなあ、ばっかだなあ、なんて言ってるはずだったんですが世の中おかしなことが沢山あるものです。