あ。「銀河」DVDが2011年6月に再発売されていたんですね。知らなかった。これは再発に敬意を表して是非再見せねば、ということで何十年かぶりに再見です。まさか再び「銀河」を堪能できる日が来るとは。DVD化、ありがたやありがたや。
キリスト教の聖地の一つ、スペインのサンチアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂を目指す巡礼への道は、フランスから見て銀河を辿ることにも例えられるそうです。
ルイス・ブニュエル1968年の「銀河」は、おっさんと若者の浮浪者風の二人連れが、このサンチアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の旅をするお話です。施しを受けつつ徒歩やヒッチハイクでスペインを目指す二人。この二人は何者でしょう。妙なコンビです。なんだか普通のおっさんと青年です。
彼らは道中、様々な人物や場所と出会ったり出会わなかったりするわけですが、個々のエピソードはすべて宗教的言説に満ちていて、シュールでコミカルです。神学論争をおちょくり、時空も歪むし、冒涜的な洒落っ気にもまみれています。こんな映画、宗教界からすごく攻撃されたのではないかと思いましたが実際には会派による評判の善し悪しがあった程度らしいです。
冒涜的と同時に、全ての語られる内容がキリスト教の某かに基づいているらしいので、見方によっては非常に冷静な神学論争の映画と捕らえることができるのかもしれません。
「シュールなナンセンスギャグ」というものがとうの昔に一般化してすでに形骸化すらしている今の時代に、もし初めてこの映画を観る人がいたらどういう感想を持つでしょう。奇妙な部分を普通に感じて、論争の内容そのものに面白さを見いだすかもしれませんね。どうでしょう。
ブニュエルの「銀河」を思うとき、どうしてもモンティ・パイソンを連想します。
少女たちが健気に「異端者に呪いあれ」と発表するシーンは「ミーニング・オブ・ライフ」のスペルマソングの歌と踊りを、キリストと弟子たちのシーンは「ブライアンの生涯」を、時空の混ざり具合は「ホーリー・グレイル」を、進学論争や尋問、論争の果ての決闘など多くのシーンはテレビシリーズの各コントを思い出します。
モンティ・パイソン自体がインテリナンセンスシュールギャグの塊で、そのテーマの中に宗教というものが大きなウエイトを占めていることを考えると当然のことなわけですが、それにしてもシュルレアリスム、ブニュエル作品からの影響がすこぶる大きなものであったということが特にこの「銀河」を観ればよくわかります。そしてモンティ・パイソンはいつの間にか「ひっくり返って笑い転げる」だけのコメディ番組から「内包する知的芸術的要素」を評価されるに至っているというのもおもしろい現象です。
フランスの革命的芸術運動がやがてコメディになりコントになりギャグとして当たり前のものになり、そしてぐるり回ってまた芸術的感動を生むテイストとして認識される時代になるという、この歴史的経緯を思うと胸が熱くなります。
さてルイス・ブニュエルですが、少年時代には厳格なイエズス会の学校に通わされていたそうで、それへの反発やシュルレアリスムのアナーキズムにより筋金入りの無神論者を自称していました。
「今日まで無神論者でいられたことを神に感謝する」とは本人の言葉です。
スペイン内戦後アメリカに渡りニューヨーク近代美術館で仕事に就いたとき、空気の読めないダリに「ブニュエルは無神論者」と暴かれ職を失ったりしたこともあります。
軽いタッチのコミカルなロードムービーである本作「銀河」ですが、油断していると時々ハッとするようなシーンもあります。
初見の時はむしろ観ているこちらの存在そのものを脅かすような演出ばかりにおののいていました。すっかり大人になっての再見で、こんなにゆるい作品だったかと逆に力が抜けた感じです。
印象なんてほんといい加減なものですねえ。
「銀河」は「昼顔」の翌年に公開された作品です。「昼顔」との作風の違いを見るのも面白いですね。ミシェル・ピコリを見て家人は「若いねえ」と言いますが、どうもミシェル・ピコリと言えば「昼顔」のイメージが強くて、若くて当然、最近の姿の方が印象に残ってなかったりします。「夜顔」にもちゃんと出ておられるんですよね。今は丸々福々したおじさんになっておられます。目元は同じ印象ですが。
「ブルジョワジーの密かな愉しみ」と「自由の幻想」それに「銀河」は「真実を求める三部作」らしいのですが「自由の幻想」は観ていないのでよく知りません。
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