その前にひとつ妙な話を。1982年のこの作品、もともとは「ボーダー」という邦題でしたが、2011年8月にDVD化されまして、そのときに「ザ・ボーダー」という邦題に変えられたようです。
オリジナルタイトルは「The Border」だし、邦題の「ザ」のあるなしなんかどうでもいいのですが、多分「ボーダー」というタイトルの他の映画がすでに発売しているとかそういう理由で変えられたんでしょうか。どうなんでしょうか。
そんなことはともかく、ジャック・ニコルソンとハーヴェイ・カイテルです。テキサスです。音楽はライ・クーダーです。メキシコです。密入国です。国境警備隊の腐敗の実態です。
否が応にも社会派映画を期待したりするわけですが、実を言いますとこれがさほどは社会派映画とは言えません。
そりゃ、密入国や麻薬の密輸、警備隊の腐敗と出鱈目さ、テレビショッピングに嵌まり「幸せ感」すら洗脳状態にある馬鹿妻の浪費、バカみたいなパーティなど、いろいろとアメリカ社会の負の側面を描きはしていますが、まあその、そういうのはちょっとした味付けというか設定というか、あまり強く全面に出してはいません。
で、何を全面に出しているかというと、ジャック・ニコルソンです。感情や心理を表に出さず地味にクールに演技するジャック・ニコルソンの新しい魅力に・・・・満ちていません。ただ地味なだけです。でもまあ面白い役柄です。なかなか味わい深くはあります。
この男がどういう人間なのか直接描かないままストーリーが進行するので、途中までは緊張感も持続されます。最後のほうになってやっと「あ、これはジャック・ニコルソンのヒーロー的アイドル映画であったか」と気づくまではそれなりに楽しめます。
で、社会派でもアイドル映画でもなく、サスペンスと活劇映画的な要素が中心となります。
密入国のメキシコ人の中でキラリと光る美人未亡人。この人を助けます。
いつの間にかクールな警備隊員ジャック・ニコルソンは人助けの域を超えて侍的あるいは西部劇的な正義のヒーローとなって悪漢どもに立ち向かい、偶然のような闘いぶりを見せるというそんな展開です。
ジャック・ニコルソンの役柄は地味な夫で正義感があって多少の犯罪には寛容で人並みに金もほしいし良い暮らしがしたいと思っていてメキシコ人女性に惹かれはするものの恋愛感情はなく据え膳を食わぬ男で、でも特に勇気や体力があるというわけではありません。まあ、普通の男です。そんな男が悪党どもと戦うわけで、その闘いぶりの間抜けさがありきたりではなくややシニカルで良い演出です。監督のトニー・リチャードソンという方はイギリス人でしたか。無理矢理ですがイギリス人的なクールさが、テキサスやメキシコといったほこり臭い内容とのミス・マッチであることから生じるおもしろさを生んでいるのかもしれません。でもイギリス人だからってそんな決めつけもいけません。
脚本家のひとりウォロン・グリーンは「恐怖の報酬」「ブリンクス」「ワイルドパンチ」「ER(第4シーズンの一部)」「ロボコップ2」などの方ですね。なんとなく「ボーダー」が見えてきましたか。
この映画が内包する違和感は、埃臭くて社会派なネタを妙な脚本とシニカルな演出で決めてしまったところにあるのかもしれません。そうするとこの作品は割と悪くないですよね。社会派の部分を強くは打ち出さないがちくちくと感じ取ることができることは、寧ろ鋭いとも言えますしね。同じことが活劇の演出にも言えます。普通の活劇を期待しているとちょっと変で、それがやっぱり寧ろ鋭い演出となって現れています。
「ボーダー」の最後は見どころです。どうやってオチをつけるのかとおもったら、こう来ましたか。まるで低予算活劇映画のようなさくっとした終わり方です。
この終わり方は「プラネット・テラー」を彷彿とさせます。あれ?順序が逆か。「プラネット・テラー」がこういうエンディングへのオマージュを捧げたのですね。
1982年にこういうエンディングを持ってきたのは、その時点で60〜70年代へのオマージュがあったんでしょうか。それともこれも何か鋭い演出のエンディグであると感じ取るべきでしょうか。
なんだか観ているこちらが捻くれすぎてよく判らなくなってまいりました。こんなの紹介にも何にもなりゃしない。