さよなら子供たち

Au revoir, les enfants
1944年。カトリック寄宿学校へ疎開してきている子供たちの物語。頭が良くて生意気でちょっとやさしいジュリアン・タンカンと新入りで謎めいたジャン・ボネとの反発と友情。ルイ・マルの自伝的映画。名作。
さよなら子供たち

最初の汽車に揺られて旅立つシーンからもう良い感じ。ただ車窓から流れる木々を追うだけのこのシーンの美しさというか重々しさというか不安感というか、景色が流れるだけのこのシーンに何故にこれほどの力を与えることができるのか。

さよなら子供たち

都会の金持ちのボンボン風ですが、疎開すれば皆同じ。金持ちの子と言っても厭味はほとんどありません。賢く教養があり文化的です。もちろんルイ・マルが自分の子供の頃を投影した役割なのだから厭な子なわけがないのですが、それにしても文化と教養です。子供こそ知性と教養と文化と無駄とプライドと自由を。

タンカンと新入りジャン・ボネは同じように頭が良く同じように大人っぽく同じようにプライドの高い少年です。
ライバルであり興味の対象であり、気になる存在。そして自然に友情が芽生えます。
この二人と、それからこの二人を取り巻く大人たち、重要な寄宿学校の校長や先生、調理場のおばさんと兄ちゃん、そして他の生徒たちとの日常を丁寧に描きます。
冒頭の車窓シーンとともに強烈な映画的興奮に満ちた名シーンの数々。映画を見終わってこうして思い返してみても、映画のシーンなのか自分の子供の頃の思い出なのか夢で見た景色なのか区別がつかなくなるほどの力を持っています。美しい映像だけというでもなく、リアリティというにはちょっと違い、感情的でもないし突き放してもいないし、「ひたすら丁寧で良いシーン」としかいいようのない日常的でかつ特異な世界を表現しております。
とりわけ森のシーンがすごいです。
もし「森を走る少年」というお題で映像を作ろうとした時、この映画の森を走る少年を越えるシーンを作ることは誰にも不可能なのじゃないかとまで思えます。決して奇をてらってる訳じゃないですが、シーンに秘められた力はこれは説明不能の滲み出る技術を越えた技術というしかありません。

日常、生活、人との関係をしっかり丁寧に描いて、それから物語の終わりはきゅーっと絞めます。

戦争やホロコーストの映画は沢山作られています。愚かなことを繰り返すまいとする文化人の決意の表明でもあります。
日本でも戦時中のことは散々語られています。そのことをよく知っていながら、やはり同じ事を繰り返します。
3月11日以来、我が国は戦時の愚挙を越える下劣な状況にまみれています。すでに戦時の異常体制をその異常さにおいて凌駕しており、玉砕を叫んで竹槍を突いていたもんぺのおばさんを国民は軽々と抜き去りました。そんな変態時期に戦争やホロコーストの映画に触れても、愚かな過去を清算して前向きに生きようというポジティブな思考回路には到底なりません。
そのつらさが映画の辛さと平行して感じられるものだから、少年の目をとてもまともに見ることすらできず、失ったものの大きさに胸騒ぎだけが残るわけなのでありますねえ。

もちろんこの映画は悲劇的な要素だけがメインではなく、少年たちの生活と友情がその主軸です。詩情豊かに描く少年たちと寄宿学校の姿をじっくり堪能することこそ理想的なこの映画の見方。
ルイ・マル、自伝的映画というだけあって、何しろ力が入っています。名作です。

さてそのルイ・マル、この映画の少年タンカンと同じく、1932年に金持ちのボンボンとして生まれ、中学生のころから映画に興味を抱き映画の学校へ進みまして、ジャック・クストーの「沈黙の世界」に参加した後、57年に「死刑台のエレベーター」で監督デビュー、えっ「死刑台のエレベーター」が初監督作品でしたか。へえ。
その後、ちびっ子映画の金字塔「地下鉄のザジ」なんていう超名作を60年に撮って天才性を確保、個人的には「世にも怪奇な物語」(67年)の第二話、「影を殺した男」が初めてのルイ・マル作品で、このときのフェリーニとルイ・マルの二作品に圧倒されまくり、それ以降作品はあまり見てない癖にルイ・マル凄いフェリーニ凄いと「凄い凄い病」にかかってしまったものです。

ぜんぜん気づきませんでしたが、アキ・カウリスマキの超名作「ラヴィ・ド・ボエーム」にルイ・マル出演しているようです。

なんにせよ、この「さよなら子供たち」はずっとずっと残っていくべき全ての人が観ていい映画であります。

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