舐めてました。「蝋人形で中身は人間?アメリカのお馬鹿ティーンもの?犯人と追いかけっこ?何故に今更。おもろなさそう〜」
私でなくても誰もがそう思ってしまうんじゃないでしょうか。
怖い奴が人間を人形にしてしまう話と言えば「妖怪人間ベム」のイメージが強烈でした。あれはトラウマ寸前の恐怖でした。今となっては典型あるいは王道ですね。
しかし王道とは言え古いありきたりの蝋人形ネタを21世紀にやるってどうなのよ。CGでも使いまくるんか?
と、小馬鹿にしつつも2005年の米での公開時にQuickTimeサイトで予告を見て以来、なんとなく頭の片隅にあったこの映画、いつまでも片隅から消えないので観てみました。直感を信じてみよう。
はい。これは大正解。わはは。面白かったー。こりゃ凄い。これ最高。まいった。
「古いありきたりなネタ」「典型で王道」と思ったのも当たり前でして、この映画は1933年の「肉の蝋人形」の現代版リメイクだったんですねえ。つまりありきたりで典型で王道にした張本人作品の正統なる後継映画だったわけです。
「キングコング」を見て「いまどき猿の化け物かよ」というのと同じ過ちをしていたわけです。製作の皆さん、すいません。
見るべきところは沢山あります。
まず冒頭です。
蝋造形職人の家族です。食事シーンです。しかし人物の顔が映りません。広角カメラをなめ回すように使った極端系の構図でぐいぐい見せます。車椅子。ヒステリー。なんだなんだこの冒頭シーンの映像のカッコ良さは。と、掴み部分で一気に好感触です。
映像のカッコ良さは全編を通して貫かれており、それがこの映画を一段階上のレベルへ押し上げているのは間違いありません。
探索シーンにしろ追いかけっこシーンにしろ蝋人形館にしろ町の姿にしろ、常にクールでアーティスティックなカメラアングルと演出を施しています。ありきたりなシーンをありきたりでなくすこの力は演出、カメラ、編集のトリプル効果でしょう。とてもよい仕事をされています。 というか、これB級映画じゃないじゃありませんか。これ本気作ですよ。
登場人物はありがちなアメリカンお馬鹿ティーンたちです。しかしながらこちらもぎりぎりのところで引き締めて「この馬鹿、早く死ね」と思わせない抑制のきいた演出がされています。軽薄なエロティックシーンがないのも好感が持てます。
主演の可愛くてグラマーでモテモテのお嬢ちゃんはエリシャ・カスバート。モデルで女優さんですね。美人過ぎることを逆手に取ったモテモテ脚本との相性もぴったりでした。
もうひとりの女性はパリス・ヒルトン。まあふたりともグラマーで美人だこと。こちらはただの賑やかし役かと思ったら途中ちょっとだけ活躍して俄然カッコ良くなります。
監督は1974年スペイン生まれのジャウマ・コレット=セラです。才能に満ちています。スパニッシュ・ホラーの香りも漂っているような気がします。いかにもハリウッド的な見飽きた演出がないのは基本的にこの監督のセンスなんでしょうねえ。
この方、2009年の「エスター」の監督です。ははあ。そうだったですか。いいですね。もっと撮ってほしいですね。
制作にはロバート・ゼネキスの名もあります。気合い入ってます。
そしてこの映画は美術や蝋造形の担当者たちにおもいっきり敬意を表すべき作品です。
特殊造形監修、造形、蝋メイク、蝋造形などに大量にクレジットされている面々、彼らが為し得た仕事はすごいの一言。登場する蝋人形や蝋細工、蝋建築意匠は半端じゃありません。あれだけの造形を作ってわずか2時間の映画でお仕舞いとは何という贅沢でしょう。惜しげもなく蜜蝋も使いまくりだそうで、使った蝋の量は何十トンにも及んだそうです。職人達に拍手。
もうひとつ、架空の寂れた町アンブローズですが、こちらもすべて作り上げたそうです。オーストラリアの何もない土地から町を丸ごと作り上げ、撮影して2時間の映画にしてお仕舞いですって。泣けてきます。職人達に乾杯。
B級ホラーどころか、とてつもない大作じゃありませんか。
冒頭の最強の掴み部分、序盤の人物紹介部分、中盤の恐怖と美しさ、後半のどきどきアクション、クライマックスのぶっ飛びヤケクソ大波乱と、ストーリー展開も飽きささない作りにて娯楽作品の醍醐味もたっぷりです。
そしてなんといっても素晴らしいラストシーンのショット。あのラストシーンの牧歌的な味わいはまったくもって格別です。ブライアン・デ・パルマの「悪魔のシスター」のラストシーンをちょっと思い出しました。
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